"片胸の息継ぎ" 第5話
律子の仕事も増え、濡れたを拭き、ロッカーへ置き忘れられた筒やゴーグルを集めるだけでが過ぎた。
忙しいは、須賀のことを忘れている。
それでも曜の午8くになると、い子が端のレーンに見えるかどうかを度確認してしまう。
須賀はしずつ達していた。
最初の頃のように毎回つことはなくなり、10メートル、15メートルなら続けて泳げる。息継ぎのには相変わらず顎ががりすぎるが、森本に注されるに自分で気づくことも増えた。
「今、吸おうとした」
ある夜、須賀が自分から言った。
「そうです」
「分かるようになってきた」
「いいですね」
「ではな」
「体もしずつ分かってますよ」
須賀は壁を掴んだまま考えた。
「体って、覚えるの遅いな」
森本が笑った。
「より正直なんですよ」
律子はその言葉を聞きながら、ごみ箱の袋を替えていた。
より正直。
自分の体は何をっているのだろう。
術、医師からは体をかすように言われた。肩関節が固まらないようにストレッチをし、適度な運をする。事も極端に制限する必はなく、体を維持しながら普通に活していい。
普通に活していい。
それは許のようでもあり、命令のようでもあった。
律子は言われた通りにした。
けれど、体が何をしたがっているのかを考えたことはなかった。
広告
べたいではなくになればべる。
疲れていても掃除はする。
眠れなくても朝は起きる。
歩数計がなければ回りして帰る。
健康のためのは増えたが、体の欲望はむしろ見えなくなった。
あるの休憩、若い受付スタッフの美咲がアイスクリームをべていた。
「庭さんもべます?」
「いらない」
「これしいですよ」
「甘いもの控えてるから」
「病院で言われてるんですか?」
律子はし考えた。
「別に」
「じゃあべたらいいのに」
「太るでしょう」
美咲は自分の腹を見た。
「私もう太ってますけどべます」
笑いながらアイスをへ入れる。
律子はその姿を見ていた。
美しいからべる。
そんな単純なを、いつから自分はしなくなったのだろう。
翌、スーパーでアイス売りのにった。
買う必はない。
に客が来る予定もない。
それでも、昔好きだった豆のアイスをつ籠へ入れた。
帰宅してすぐべるつもりだったが、夕まで凍庫に入れたままにした。
べるも、最初のをし警戒した。
甘かった。
たい。
豆の皮がし舌に残る。
美しいとった。
その覚に、律子はさく驚いた。
別に、覚がなくなっていたわけではない。
料理は普通にべていた。
ただ、「美しいからもう」という体のきを、久しぶりに識した。
広告
アイスをべ終えた。
容器を捨てた。
何も変わらない。
しかし次の、律子はまたつ買った。
そんなさなことが増え始めた。
朝、目覚ましが鳴るに目が覚めても、もうし眠りたいなら10分寝る。
疲れたは駅分歩かない。
蕎麦をべるつもりでに入り、カレーの匂いが気になったらカレーを頼む。
誰にも言わなかった。
言うほどのことではない。
それでも、自分の体のさな求を、度聞いてから決めるようになった。
8の終わり、麻から箱根の宿の写真が送られてきた。
《貸切呂、空いてた》
画面にはで囲まれたさな呂が写っている。
が見える。
律子は写真を拡した。
《ここならいい》
送ったあと、自分でし驚いた。
「く」ではなく「いい」と答えたのは、まだ完全には乗り気ではなかったからだ。
それでも麻からは、
《予約した!》
と返ってきた。
そのの夜、律子は呂の鏡をく見た。
胸の傷。
側の乳。
腹。
肩。
腕。
自分がっているほど、体は静止していなかった。
息をするたび胸郭がし広がる。
腹がく。
肩がする。
きている体というものは、じっとしているつもりでも細かくき続けるらしい。
律子は初めて、傷ではなく、そのきを見ていた。
9に入って最初の曜、須賀は来なかった。律子はい子が見えないことにすぐ気づいたが、用事でもあるのだろうとった。
曜にも姿がなかった。
翌週の曜も来ない。