"7階に戻るな" 第5話
真実を見ることが怖くても、らないまま怯えている方がもっと恐ろしかった。
ちょうどその、内話が鳴った。受話器を取ると、1階にむ佐藤さんが興奮した声で「さん、ロビーにちょっと来られない?」と言った。事件好きな噂話に付きう気分ではなかったが、「警察がさんのことを聞いて回ってるのよ」という言が引っかかり、私は斎の扉からをした。
ロビーには佐藤さんをはじめ、数のが集まっていた。皆、声を潜めているつもりなのだろうが、事件の当事者ではない特の興奮が表ににじんでいる。私を見ると佐藤さんはすぐづき、「さんって、織さんの会社の会計士だったんですってね」と言った。
「それはってるわ」
私が答えると、別のが「でもただの会計士じゃないらしいわよ」と割って入った。警察が最の資の流れについてかなり詳しく調べていること、織の会社はここ半ほど資繰りが悪化していたこと、さんが帳簿の処理について何度も社内で見していたことを、どこから聞いたのか次々に話し始めた。
噂話をそのまま信じるつもりはなかった。しかし織が私へ話した「に何度か帳簿を見てもらう程度」という説より、さんが会社内部のな数字を把握していた能性はそうだった。
広告
彼が会社の正をり、それが原因で狙われたのだと考えれば、エレベーターであれほど怯えていたことにも説がつく。
それでも、もうつ疑問が残った。警察はさんと織の会社との関係を当然把握しているはずなのに、私へは何も教えていない。私は事件の目撃者なのだから教えてもらえるとい込んでいただけかもしれないが、報の側へ置かれているようなが膨らんだ。
自宅へ戻る途、1階の管理に若い管理の若林直がいるのが見えた。27歳の彼はこのマンションに勤めて2ほどだが、の名をよく覚え、老が荷物を運んでいれば自分から伝うような実直な青だった。私は迷った末、管理のでを止めた。
「若林さん、しお願いがあるの」
私が事件当の防犯映像を確認したいと言うと、当然ながら彼は困った顔をした。だからといって自由に見せられるものではなく、事件映像ならなおさら警察や管理会社の許が必だという。私はそれを理解したで、さんから警告され、自分も狙われている能性があることだけを説した。
若林はしばらく考えたあと、「さん個に映像を渡すことはできません。でも、警察に提した記録についてなら、管理会社として何があったか説できます」
広告
と言った。彼は端末をき、事件当の保状況だけを確認してくれた。
午5過ぎ、私がエレベーターへ乗る。4階でさんが乗る。ところが、その直から約5分、ローカルサーバーの記録が自然に欠落していた。
「材故障?」
私が尋ねると、若林は首を振った。「同じ帯ののカメラは正常です。だからこの映像だけ、あとから削除された能性がいです」と言う。さらにアクセス履歴を確認すると、事件2、801号の織が「なくした貴属を確認したい」という理由で管理へ来ていたことが分かった。
若林はその、正式な申請を受けて過映像を見せたという。ただし織は映像そのものより、「何保されるのか」「削除したバックアップは残るのか」「部からアクセスできるのか」とシステムについて何度も質問していた。若林は当、会社経営者だからセキュリティへ関があるのだろうとく考えなかったらしい。
「でも、ローカル側から消しても完全には消えません」
若林は声を落とした。マンションの防犯システムは管理とは別に管理会社本部のサーバーへ7自保される仕組みになっており、警察はすでに正式な保全請をしているという。つまり消された5分も、警察の元には残っている能性がい。
私はそこでしだけした。警察が何もしていないのではなく、私へ説していないだけだったのだとえたからだ。
広告
おすすめ作品
-
完結第12話
捨てられた夏の肖像
次女・夏が生まれた日、夫は赤ん坊の顔を見るなり言い放った。 「この子は俺の子じゃない」 長女は夫にそっくりなのに、次女はまったく似ていない。たったそれだけの理由で、私は浮気を疑われ、DNA鑑定で親子関係が証明されても、夫と義母は夏を認めようとしなかった。 そして私は、生まれたばかりの次女だけを連れて家を追い出される。 残された長女には会えないまま、10年が過ぎた。 ところがある日、成長した夏とショッピングモールを歩いていた私は、夫と義母、そして長女と偶然再会する。 そこで彼らは、夏の姿を見て言葉を失った。 10年前、「他所の子」と罵られた次女には、彼らが知らない大きな秘密があった――。因果応報|人生逆転1.8万字5 0 -
完結第14話
銀行にいた偽妻
60歳の斎藤かよ子は、夫・剣一を大阪出張へ送り出したはずだった。 しかし午前11時17分、銀行から一本の電話が入る。 「ご主人が、奥様と同じ名前の若い女性と一緒に来店されています」 その女性は、かよ子の名前を名乗り、住所や生年月日、家族の情報まで正確に答えていた。しかも夫は、その女を自分の妻として銀行に紹介し、かよ子名義の資産に関わる重要な手続きを進めようとしていた。 ただの浮気ではない。夫は、かよ子の服装、癖、署名、人生の記録までも利用し、“もう1人の妻”を作り上げていた。 37年間信じてきた夫が、本当に奪おうとしていたものは財産だけだったのか。 そして、何も知らない妻を演じ続けたかよ子が、最後に銀行で見せた反撃とは――。人生逆転|夫婦2.1万字5 0 -
完結第12話
娘の結婚式で夫は愛人を新しい妻と紹介した
52歳の由美は、27年間連れ添った夫・剣一との夫婦関係がすでに壊れていることを知りながら、一人娘・美穂の結婚式までは何も起こさないと決めていた。ところが披露宴の最中、剣一は180人の招待客を前に、34歳の愛人・理香を「これからの妻になる人です」と紹介する。会場が凍りつき、娘が青ざめる中、由美は怒鳴りも泣きもせず、静かに立ち上がって拍手した。「あなたの本性を、私が説明する手間が省けました」。すると突然、新郎の父・誠が由美の前まで歩み寄り、深く頭を下げる。「これまで、本当によく耐えてこられました」。そして彼が口にした「準備はできています」という一言に、夫の表情が変わった――。人生逆転|不倫|熟年離婚1.8万字5 0 -
完結第13話
青いチョーク
63歳の田中澄江は、夫を亡くしてから2年間、午後4時になると必ず家を出るようになっていた。 夕方の光が差し込む居間には、亡き夫の湯呑みと、言葉にできない寂しさだけが残っていた。そんなある日、取り壊し前の小学校の前で、澄江は一本の青いチョークを拾う。 何気なく引いた一本の線。灰色の壁に描いた小さな青い四角。 それはただの落書きのはずだった。けれど、その壁に一人の少年が現れ、やがて子どもたちや町の人々が少しずつ色を足していく。 消えては描かれ、また雨に流されるチョークの絵。 夫を失った悲しみの中で止まっていた澄江の午後4時は、いつしか少しずつ違う色を持ち始める。 一本の青いチョークが、空白になった人生に静かな線を引いていく物語。人生逆転1.9万字5 0 -
完結第10話
終電の風呂敷
昭和36年の冬、東京郊外の小さな私鉄駅に、毎晩必ず終電だけに乗る老婦人がいた。 午後11時38分。灰色の着物に黒い羽織、そして胸に抱えた紺色の風呂敷包み。彼女はいつも同じ時間に現れ、同じ行き先――工場前駅までの切符を買っていく。 昼間には一度も姿を見せず、帰りの切符も買わない。翌朝戻ってくる姿を見た者もいない。それなのに、次の夜になると、老婦人はまた何事もなかったように駅へ現れる。 若い駅員・高木修一は、次第にその風呂敷の中身と、彼女が毎晩終電に乗る理由が気になっていく。 そして小雪の降る夜、高木は初めて老婦人の後を追った。 終電の先にあったのは、眠らない工場街と、夜勤を終えて戻ってくる幼い少女たちの姿。老婦人が風呂敷をほどいた時、高木はようやく知ることになる。 彼女が毎晩運んでいたのは、ただの荷物ではなかった。 誰にも頼まれず、名前も残さず、昭和の片隅でそっと続けられていた小さな恩返し。その温もりが、時代を越えて誰かの心に受け継がれていく――。人生逆転|真相1.4万字5 0 -
完結第10話
米寿の席で外された嫁
米寿祝いの席で、義母は親族の前で突然言った。 「秋子さんには、明日から店へ来てもらわなくて結構です」 33年間、朝早くから和菓子店《松月堂》を支えてきた秋子。餡を練り、注文を管理し、繁忙期には夜まで働いてきた日々は、義母の一言で“家族の手伝い”として片づけられた。 しかも店から外された秋子に、今度は義母の通院や世話を任せるつもりだった。 何も言わず席を立ったその夜、秋子は古い段ボール箱の中から、亡き義父が残した一通の封筒を見つける。 そこに入っていたのは、秋子を守るための遺言ではなかった。 店の帳簿に隠されていた不自然な金の流れ、説明されていない借金、そして義父が最後まで言えなかった家族の秘密。 「家族だから」という言葉の下で、誰が何を背負わされていたのか。 33年間奪われてきた時間と仕事の価値を、秋子が静かに取り戻していく物語。人生逆転|嫁姑|親子関係1.5万字5 1