"7階に戻るな" 第12話
健太も法廷から連れされる直、こちらを見て度だけくをげた。
数、健太は社会へ戻った。以の会社へは戻らず、さな物流会社で事務の仕事を始め、休には犯罪被害者支援団体の雑務を伝うようになった。最初は罪悪から始めた活だったが、が経つにつれて「何かを返すためではなく、困っているのそばにいられるになりたい」と言うようになった。
私もマンションをなかった。事件は何度も引っ越しを考えたが、優郎と緒に選んだ部であり、さんが私を逃がしてくれた所でもある。恐怖だけに所をけ渡したくないという気持ちが、とともにくなっていった。
あるの、インターホンが鳴った。モニターには40歳の見らぬ女性がっており、「突然申し訳ありません。誠の娘です」と名乗った。目元がさんによく似ていることに気づいた瞬、私は胸が締めつけられた。
部へ招くと、彼女は美紀と名乗り、父の遺品を理していたに見つけたという封筒を私へ差しした。にはさんの跡でかれたいと、さな布のお守りが入っていた。
《恵子さんへ。もしこれをあなたが読んでいるなら、私は優郎さんとの約束を最まで果たせなかったのでしょう。
広告
あなたと健太さんを守りきれなかったことだけが残りです》
私は何度も首を振った。
「違います。お父様は私を助けてくださいました」
美紀さんは静かに笑った。「父も、あなたの話をしていました。何があっても最は真実から逃げないだって」と言った。私は自分がそんな派なではないと答えたが、美紀さんは「父はさんならきっと分かってくれると言っていました」と続けた。
彼女がお守りを私の掌へ置いた。し褪せた布の裏には、器用な糸でい言葉が縫われていた。
《10分あれば、は変わる》
その文字を見た瞬、あののエレベーターが鮮に蘇った。さんが4階から乗り込み、を渡し、私に病気のふりをさせ、5階でへ逃がしてくれるまで、およそ10分にも満たないだった。あのいがなければ、私は織と健太の争いへ巻き込まれ、夫のの真相もさんの覚悟もらないまま終わっていたかもしれない。
美紀さんが帰ったあと、私はそのお守りを仏壇の横へ置いた。夕方になると健太が仕事帰りにち寄り、さんの娘が来たことを話すと、い黙ってお守りを見つめた。やがて「俺、忘れちゃいけないよな」と呟いた。
「忘れなくていいの」
私は答えた。「でも、あのだけにずっとち止まっていたら、さんもお父さんもばないとう」
広告
と続けた。健太はゆっくり頷き、「いつかさんみたいに、怖くても誰かを守れるになりたい」と言った。
そのの夜、でベランダへた。都の夜景は事件のと何も変わらず、無数の窓に活のかりが灯っている。以の私はそれを華やかな景としかっていなかったが、事件の直には監する目に見え、今はようやく、それぞれので誰かが夕を作り、笑い、眠るためのなのだとえるようになった。
数、私はで買い物へた。スーパーではりんごと牛乳、鶏肉と根を買い、あのとほとんど同じ袋を提げてマンションへ戻った。エレベーターのへつと瞬だけが止まったが、私は逃げずに乗り込んだ。
7階のボタンを押す。4階で度止まり、扉がいたが、そこには誰もいなかった。
私はさく息を吐いた。扉が閉まり、5階、6階と数字ががっていく。7階へ着く頃には、胸の鼓もしずつ落ち着いていた。
部へ戻り、根を切って鍋へ入れた。汁の匂いがリビングまで広がると、私はようやく「何も起きない夕方」がどれほどありがたいものなのか分かった。毎同じに買い物へき、同じ台所で料理をして、も同じ朝を迎えられることは、退屈ではなく、守られているだったのだ。
仏壇の優郎の写真へ目を向けた。
「今もちゃんと帰ってきたわよ」
写真の夫は、昔と同じ顔で笑っている。
その横には、さんのお守りが置かれていた。
私のは、あのたった10分で壊れたように見えた。夫のの真実をり、信じていた義理の娘の裏切りをり、最もしている息子のさと罪までった。
けれど、壊れたあとをどうきるかまで、誰かに決められたわけではなかった。
さんがエレベーターので差ししたには、「病気のふりをして、ここからてけ」とかれていた。あのの私は、ただ命を守るために逃げたのだとっていた。
今なら分かる。
あの歩は、逃げるためだけの歩ではなかった。
真実へ向きい、息子を罪から逃がさず、それでも見捨てず、自分自ももう度き直すための、最初の歩だったのだ。
広告
おすすめ作品
-
完結第12話
捨てられた夏の肖像
次女・夏が生まれた日、夫は赤ん坊の顔を見るなり言い放った。 「この子は俺の子じゃない」 長女は夫にそっくりなのに、次女はまったく似ていない。たったそれだけの理由で、私は浮気を疑われ、DNA鑑定で親子関係が証明されても、夫と義母は夏を認めようとしなかった。 そして私は、生まれたばかりの次女だけを連れて家を追い出される。 残された長女には会えないまま、10年が過ぎた。 ところがある日、成長した夏とショッピングモールを歩いていた私は、夫と義母、そして長女と偶然再会する。 そこで彼らは、夏の姿を見て言葉を失った。 10年前、「他所の子」と罵られた次女には、彼らが知らない大きな秘密があった――。因果応報|人生逆転1.8万字5 0 -
完結第14話
銀行にいた偽妻
60歳の斎藤かよ子は、夫・剣一を大阪出張へ送り出したはずだった。 しかし午前11時17分、銀行から一本の電話が入る。 「ご主人が、奥様と同じ名前の若い女性と一緒に来店されています」 その女性は、かよ子の名前を名乗り、住所や生年月日、家族の情報まで正確に答えていた。しかも夫は、その女を自分の妻として銀行に紹介し、かよ子名義の資産に関わる重要な手続きを進めようとしていた。 ただの浮気ではない。夫は、かよ子の服装、癖、署名、人生の記録までも利用し、“もう1人の妻”を作り上げていた。 37年間信じてきた夫が、本当に奪おうとしていたものは財産だけだったのか。 そして、何も知らない妻を演じ続けたかよ子が、最後に銀行で見せた反撃とは――。人生逆転|夫婦2.1万字5 0 -
完結第12話
娘の結婚式で夫は愛人を新しい妻と紹介した
52歳の由美は、27年間連れ添った夫・剣一との夫婦関係がすでに壊れていることを知りながら、一人娘・美穂の結婚式までは何も起こさないと決めていた。ところが披露宴の最中、剣一は180人の招待客を前に、34歳の愛人・理香を「これからの妻になる人です」と紹介する。会場が凍りつき、娘が青ざめる中、由美は怒鳴りも泣きもせず、静かに立ち上がって拍手した。「あなたの本性を、私が説明する手間が省けました」。すると突然、新郎の父・誠が由美の前まで歩み寄り、深く頭を下げる。「これまで、本当によく耐えてこられました」。そして彼が口にした「準備はできています」という一言に、夫の表情が変わった――。人生逆転|不倫|熟年離婚1.8万字5 0 -
完結第13話
青いチョーク
63歳の田中澄江は、夫を亡くしてから2年間、午後4時になると必ず家を出るようになっていた。 夕方の光が差し込む居間には、亡き夫の湯呑みと、言葉にできない寂しさだけが残っていた。そんなある日、取り壊し前の小学校の前で、澄江は一本の青いチョークを拾う。 何気なく引いた一本の線。灰色の壁に描いた小さな青い四角。 それはただの落書きのはずだった。けれど、その壁に一人の少年が現れ、やがて子どもたちや町の人々が少しずつ色を足していく。 消えては描かれ、また雨に流されるチョークの絵。 夫を失った悲しみの中で止まっていた澄江の午後4時は、いつしか少しずつ違う色を持ち始める。 一本の青いチョークが、空白になった人生に静かな線を引いていく物語。人生逆転1.9万字5 0 -
完結第10話
終電の風呂敷
昭和36年の冬、東京郊外の小さな私鉄駅に、毎晩必ず終電だけに乗る老婦人がいた。 午後11時38分。灰色の着物に黒い羽織、そして胸に抱えた紺色の風呂敷包み。彼女はいつも同じ時間に現れ、同じ行き先――工場前駅までの切符を買っていく。 昼間には一度も姿を見せず、帰りの切符も買わない。翌朝戻ってくる姿を見た者もいない。それなのに、次の夜になると、老婦人はまた何事もなかったように駅へ現れる。 若い駅員・高木修一は、次第にその風呂敷の中身と、彼女が毎晩終電に乗る理由が気になっていく。 そして小雪の降る夜、高木は初めて老婦人の後を追った。 終電の先にあったのは、眠らない工場街と、夜勤を終えて戻ってくる幼い少女たちの姿。老婦人が風呂敷をほどいた時、高木はようやく知ることになる。 彼女が毎晩運んでいたのは、ただの荷物ではなかった。 誰にも頼まれず、名前も残さず、昭和の片隅でそっと続けられていた小さな恩返し。その温もりが、時代を越えて誰かの心に受け継がれていく――。人生逆転|真相1.4万字5 0 -
完結第10話
米寿の席で外された嫁
米寿祝いの席で、義母は親族の前で突然言った。 「秋子さんには、明日から店へ来てもらわなくて結構です」 33年間、朝早くから和菓子店《松月堂》を支えてきた秋子。餡を練り、注文を管理し、繁忙期には夜まで働いてきた日々は、義母の一言で“家族の手伝い”として片づけられた。 しかも店から外された秋子に、今度は義母の通院や世話を任せるつもりだった。 何も言わず席を立ったその夜、秋子は古い段ボール箱の中から、亡き義父が残した一通の封筒を見つける。 そこに入っていたのは、秋子を守るための遺言ではなかった。 店の帳簿に隠されていた不自然な金の流れ、説明されていない借金、そして義父が最後まで言えなかった家族の秘密。 「家族だから」という言葉の下で、誰が何を背負わされていたのか。 33年間奪われてきた時間と仕事の価値を、秋子が静かに取り戻していく物語。人生逆転|嫁姑|親子関係1.5万字5 1