"午前五時の朝餉" 第1話
野志保が階段をりてきたのは、午分のことだった。
築になる造宅の気は、靴をに履いたの裏から骨へと容赦なく染み込んでくる。
夫の回忌もとっくに過ぎ、このには志保と、息子の健、そしてになる孫の蓮のしかいない。
まで台所を仕切っていた嫁の加奈子の姿は、もうどこにもなかった。
協議婚の類に判を押し、切れ代わりの端したと着替えを詰めたボストンバッグつで、夜のに紛れるようにてったきりだ。
「ようやく静かになったわ」
志保は暗い廊でごちた。
愚図で、答えもできず、ただのをい回るように事をこなすだけだった女。
いなくなって困ることといえば、朝の茶を入れるがつ減ったことくらいだった。
台所の引き戸を引いた瞬、志保のが止まった。
腔をくすぐったのは、え切った油の匂いではない。
鰹節と昆布の品な汁のり。
そして、微かに甘みを含んだの匂いだった。
暗い対面キッチンの奥、黒い造理のカウンターので、さな琥珀のが灯っていた。
子炊飯器の液晶画面だった。
【保温:28分】
志保の喉がさく鳴った。
誰も起きているはずがない。
健は昨夜も遅くまで会社の帳簿とにらみって酒を煽っていたし、蓮が朝のに起きて米を研ぐなどあり得ない話だった。
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志保はすりで調理台にづいた。
炊飯器の蓋のには、まだほんのりと温かい滴がびっしりと浮いている。
蒸気からは、かすかにい筋がちっていた。
が震えた。
志保は恐る恐る、プッシュボタンに差し指をかけた。
カチャリ、といバネの音が響き、蓋がねがる。
濛々としたい湯気が志保の顔を包み込んだ。
に入っていたのは、見事なまでに艶を帯びた筍ご飯だった。
く引かれた汁を吸って飴に輝く米粒のに、均等なみで刻まれた旬の筍と油揚げ。
そして、その央には、粒の振りな紀州梅が、まるで儀式のように据えられていた。
蓮の好物だった。
先、筍がに並ぶと、加奈子が必ず作っていた通学の朝。
志保のから、持っていた湯呑みが滑り落ちた。
ガシャンと甲い音がクッションフロアに響き、緑の破片が散らばる。
「おい、何やってんだよ朝っぱらから」
階からい音がりてきた。
スウェット姿の健が、寝癖のついたを掻きながら台所に顔をした。
「母さん、皿割ったのか? ったく、暗いでうろうろすんなよ」
「健、これ……」
志保は震える指先で、いたままの炊飯器を指差した。
健の線が、湯気をげる米に向けられる。
苛ちに歪んでいた男の顔から、急速に血の気が引いていった。
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「……誰が炊いた」
「らないわよ! 私がりてきたら、もう保温になってたのよ!」
「蓮か?」
「あの子が筍のアク抜きなんてできるわけないでしょうが!」
健は無言で炊飯器のに詰め寄り、内釜の縁に触れた。
い。
違いなく、分ほどに炊きがったばかりの温度だった。
「鍵は」
健がい声で言った。
「玄関の鍵はどうなってる」
「閉まってたわよ。チェーンも、勝の内鍵も、全部私が昨の夜確認したわ」
は息を殺し、まだ暗いのを見回した。
井の隅、蔵庫の隙、階段の物置。
どこにもの気配はない。
ただ、筍ご飯の匂いだけが、逃げのない毒のように部に充満していた。
健は急ぎで玄関へ向かい、ドアノブを回した。
かない。
つのシリンダー錠は、どちらも内側から施錠されたままだった。
勝も、居の掃きし窓も、戸の閂さえりている。
完全な密だった。
「あいつだ」
志保が掠れた声で呟いた。
「加奈子の仕業よ。あの女、鍵を持ってるんだわ」
「馬鹿言うな。鍵は全部回収して、目ので破棄しただろ」
健は苛ちを隠すように鳴り、自分のポケットからスマートフォンを取りした。
だが、警察を呼ぶ気配はない。
呼べるはずがなかった。
加奈子を追いした経緯を警察に聞かれれば、婚協議の控えを見せなければならなくなる。
あの類に何がかれているか、町内のにられるわけにはいかなかった。