"午前五時の朝餉" 第10話
「っ!」
湯の沫を浴びて、健はバールを取り落とした。
に落ちた鉄の棒が、鈍い音をてて転がる。
ちった蒸気は、ただの米の匂いではなかった。
を刺すような、ツンとした薬品の臭気。
アルコールと、微かな甘苦さが混ざりった、病院の処置のような匂い。
志保の呼吸が止まった。
その匂いが、志保の脳髄の最もい部分に眠っていた記憶を呼び覚ました。
。
夫が倒れた夜。
舌のに押し込むはずだった、硝酸薬のスプレー。
そして、健が引きしの奥から持ちしてきた、別の錠剤をに溶かしたの、あの独特の匂い。
「お父さん……?」
志保が両膝をついた。
にをつき、つんいになりながら、激しくをに振る。
「お父さんなの!? 許して……許してよぉ!」
「母さん、正気配れ! ただの械だ!」
健が叫び、素で炊飯器の本体を掴もうとした。
だが、本体は異常なを帯びており、触れた掌の皮がジュッと音をてて焼けた。
「ぐあああっ!」
健がを引っ込めた隙に、炊飯器の液晶画面に、文字が流れるようにスクロールし始めた。
普段なら炊きがりまでの残りを表示するはずの桁の数字。
そこに表示されたのは、ではなかった。
【02:15】
【02:40】
【03:10】
の夜、志保と健が居で計を見げながら、救急を呼ぶのを引き延ばしていた刻の推移だった。
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蒸気は井に達し、台所全体をいのように覆い尽くしていく。
薬品の匂いはさらに濃くなり、喉を締め付けるように息苦しい。
「私が悪かったんじゃないわよ!」
志保がを掻きむしりながら叫んだ。
髪を振り乱し、よだれを垂らし、見えない何かに向かって狂ったようにを擦り付ける。
「健が言ったのよ! 『今んでくれたら、会社の借がチャラになる』って! 薬を台所の角コーナーに流したのは健よ! 私は……私はただ、健の言う通りにしただけなの! 加奈子に罪を着せようって言ったのも健なのよぉぉ!」
「母さん、黙れ! 黙れぇぇぇっ!」
健が志保の首根っこを掴もうとした、そのだった。
パチッ。
乾いた音がして、リビングの井照が斉に点灯した。
蛍灯の眩いが、濁した蒸気で煙る台所を無慈に照らしす。
同に、ピピッ、と子錠が解錠される子音が玄関から響いた。
たい気が、かれたドアから廊を通って台所へと吹き込んできた。
健は目眩を覚えながら、のへ線を向けた。
台所の引き戸のに、誰かがっていた。
制のブレザーを着た、蓮だった。
には、玄関のマスターキーが握られていた。
そして、蓮のの背に、黒い革靴を履いたの男が静かに並んでいた。
濡れたトレンチコート。
無表な目。
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胸元から取りされた黒い革の帳が、蛍灯のを反射してたくった。
「千葉県警捜査課です」
方にった初老の男が、く、切の抑揚のない声で言った。
「野健さん、野志保さんですね。の野庄司さんに対する保護責任者遺棄致、および詐欺の容疑で、お話を伺います」
健の膝から、完全に力が抜けた。
元に転がっていたバールが、逃げのない鉄のさで、健の靴先に触れていた。
警察官が踏み込んできた台所は、異様な薬品の蒸気と沈黙に満ちていた。
志保はに突っ伏したまま、泡のようなよだれを垂らし、取り押さえようとする若い捜査員の腕を振り払おうともがいていた。
「違う……私は殺してない! 薬を捨てたのは健よ! あの男が、保険が入るからって……!」
「母さん、やめろ! 喋るな!」
健もまた、背から別の刑事に両腕をねじりげられ、たいフローリングに顔面を押し付けられていた。
抵抗しようと暴れるたびに、肩の関節に激痛がる。
バールはを滑り、キッチンの隅へと蹴りばされた。
廊の奥から、もうつの音がづいてきた。
蓮の靴音ではない。
濡れたスニーカーの、微かで確かな摩擦音。
健はに頬を擦り付けたまま、線だけを辛うじてげた。
暗がりから姿を現したのは、加奈子だった。
黒いウールのコートを着て、髪をろでつに束ねている。
化粧気のない顔は痩せていたが、その瞳には、こので見せ続けていた怯えや卑屈さは微もなかった。