"地上二メートルから見上げる逆転の空" 第9話
やがてシュンシュンとい湯気がちり、事務所のにばしい番茶の匂いが満ちていく。
卓郎の淹れる番茶は、いつも茶葉を急須に入れてから湯を注ぐのがすぎるせいで、に含むと烈な渋みが舌の両脇にざらりと残った。
薫は欠けた湯呑みを両で切そうに包み込み、「美しいです」と目を細めた。その言い方に嘘やお世辞の響きがしも混ざっていなかったので、卓郎は気恥ずかしさを隠すようにのを掻いた。
向には、所から貰ってきた端材の入った段ボール箱を差ししてやった。
が切り落とした、松や杉の角い切れ端の角を、卓郎がカンナで丸く削って落としたものだ。
向はその箱のにちょこんと正座し、飽きることもなく黙々と片を積みげ始めた。
積んでは崩れ、崩れてはまた拾い集めて積みげる。その繰り返しに、しも退屈する様子がない。
薫はその傍らの事務机で、方の現ノートを広げていた。定規を使わずにフリーハンドで描かれた繊細なの面図の余に、緻密な計算式と荷の数値がびっしりとき込まれている。
「毎朝、それをいているんですか?」
「ええ、癖のようなものです。自分が組んだは、そののうちに図面としてき残しておかないと、覚が逃げてしまいますので」
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朝の事務所には、片同士が触れうカチャカチャという乾いた音と、ノートのをる鉛の規則正しい擦過音だけが満ちていた。
卓郎はそのよい音律にを傾けながら、広げた方聞の同じを、何度も何度も目で追っていた。
こんなにも騒がしく、そしてこんなにも穏やかな朝の空気を、この事務所は何もの、すっかり忘れていた。
ふと、卓郎の脳裏をくれて暮らす母・代の記憶がよぎる。学の頃、卓郎が図画作のに描いたの絵を、嬉しそうに台所の壁に画鋲で留めていた母。
――あの以来、あのに話をかけなくなってから、もうが経っていた。
「浦さん」
に薫から声をかけられ、卓郎はハッと顔をげた。
「……ち入ったことをお聞きします。あの初、壁の浮きを叩いてくださったのことです」
ヤカンの湯が沸騰し、カタカタと蓋を鳴らす音が、急に元できく聞こえ始めた。
卓郎は湯呑みを机に置き、線を落とした。
久保田以の誰にも話したことのない、胸の奥底の澱。けれど、この真摯な瞳を持つ女性に対してだけは、嘘をついてはいけない気がした。
「……、うちの先代が現でくなりました。俺の親父です」
薫の鉛をらせるが止まった。
「崩れた原因は、あのと同じ……壁つなぎの抜きでした。
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元請けが勝にしたんです。俺はその、真の資材置きにいました。……からってくる音を聞いて、ただ空を見げていることしかできなかった」
言葉を吐きすたびに、奥歯の噛みわせが痛いほど軋んだ。
「それから……いところに登れなくなりました。脚の段目にを乗せただけで、のひらが痺れて、喉が塞がって息が入らなくなる。のから板のを歩き回ってきた職が、今は面のから歩もけないんです」
卓郎は自らののひらを見つめた。
かつては誰よりもい所で配りをつかんでいたはずのが、今はえた湯呑みを握りしめていることしかできない。
薫はすぐには何も言わなかった。
静かに息を吸い、やがて、く確かめるような落ち着いた声でをいた。
「祖父が、よく言っていました。『怖くなくなった鳶から順番に、空から落ちるんだ』と」
卓郎は顔をげた。
「い所で怖いとじるのは、そこから落ちたの痛さとさを、誰よりもっているからです。それは技術が衰えたのではなく、職としての命の勘が、きている証拠だと私はいます」
それは、触りのいい慰めなどでは断じてなかった。
同じ所で命を張ってきただからこそ言える、混じり気のない、真っ直ぐな見てだった。
卓郎が胸を突かれて言葉を探していると、元でコトッと乾いたさな音がした。
見ろすと、向が積みげた片の塔が、卓郎の膝のあたりまでく伸びていた。