"年商一兆円の父にワインをかけた婚約者" 第6話
まるで、宗郎にく突きばされたかのような、自然な倒れ方だった。
「痛い……っ! 痛いわ! この男、逆して私に暴力を振るいましたわ! 警察を呼んで! 誰か警察を!」
貴恵はにうずくまり、胸を押さえながら々しく呻いてみせた。 完璧な自作自演だった。
「母さん! しっかりしろ!」 待ってましたとばかりに圭吾が駆け寄り、倒れた貴恵を抱き起こした。 そして、周囲のカメラに向かって叫ぶように、宗郎を指差した。
「あんた、僕の母に何をしたんだ! 暴力まで振るうなんて、絶対に許さないぞ! 社会に破滅させてやる!」
ロビーは完全に凍りつき、宗郎に向かって無数のレンズが向けられた。 かけて築きげてきた誇りと尊厳が、劣な悪によって引き裂かれ、ネットの玩具にされようとしている。
宗郎は何も言い返さず、ただ静かに倒れ込む母子を見ろしていた。 その瞳は、もはやりすら通り越し、絶対零度の徹さを湛えていた。
「……倉林、くぞ」 「会……しかし……!」 「構わん。け」
宗郎は警備員が集まってくるのを背に、度も振り返ることなく、堂々とした取りで回転扉を抜けていった。
ロビーの喧騒のに、、綾が取り残されていた。 父のっていったガラス扉を、魂が抜けたように見つめている。
「綾、こう。警察が来るに、僕たちもここをた方がいい」
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圭吾が綾の腕を掴んだ。その声には、綾を気遣うなど微もなく、ただスキャンダルから逃れたいという焦りだけがあった。
綾は、そのを乱暴に振り払った。
「触らないで」
「……何だよ、綾」
「どうして……どうしてあんなことができるの?」 綾の声は震えていた。瞳から溢れた涙が、頬を伝って顎から落ちていく。
「どうしてって、母さんがあそこまでるのも当然だろう! 君のお父さんが僕たちを侮辱したんだぞ!」
「侮辱したのはどっちなの!?」 綾の叫びが、静まりかけたロビーに響いた。
「最初から最まで、お母様がお父さんにしたことが侮辱じゃなくて何なの!? なりだけでを判断して、おのことばかりで値踏みして……! 圭吾さん、あなたもよ! お父さんがワインをかけられた、笑っていたわよね!?」
圭吾の顔がそうに歪んだ。
「なんだよそれ。まるで僕たちが悪いみたいじゃないか。君のお父さんがもうしマシな格好をして、まともなで来ればこんなことにはならなかったんだ! 正直に言えよ、綾だって恥ずかしかったんじゃないのか!? あんなボロで乗り付けられて!」
「やめて……っ!」
綾は両でを塞ぎ、激しく首を振った。
「お父さんは、私にずっと教えてくれたわ。見でを判断するな、の本質を見なさい、どんなも謙虚でありなさいって……! だから私も、あなたに会った、福岡のさな会社の娘だとしか言わなかったの。
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肩きやおじゃなく、私自を見てくれるに会いたかったから……!」
「それが今、何の関係があるんだよ!」
「ありよ! あなたたちは最初から、おと見栄しか見ていなかった! お父さんがどれだけ誠実なか、どれだけ温かいを持っているかなんて、見ようともしなかった!」
綾は震えるで、の薬指に輝く指輪を掴んだ。 圭吾から贈られた、最級のハリー・ウィンストンのダイヤモンドリング。 それを力任せに引き抜くと、圭吾ののひらへと叩きつけるように押し戻した。
「……綾?」
「お返しします。をこんなに踏みにじるような族と、族になることなんて、がひっくり返っても絶対にできません」
「おい、待てよ綾! 本気で言ってるのか!? 僕と別れて、あんたのがどうなるか分かってんのか!?」
背で圭吾が喚き散らす声を置きりにし、綾はロビーを駆け抜けた。 流れる涙を拭うことすら忘れ、エントランスで止まったタクシーにび乗った。
「どちらまで?」 運転に尋ねられ、綾は息を呑んだ。 向かうべき所は、ひとつしかなかった。
度もったことのない、父の「本当の職」。 父がかつて「何かあったらここへ来なさい」と、歳の誕に渡してくれた枚のカードキーに刻まれていた所。
「……町の、扶桑タワーまでお願いします」
タクシーがりす。 窓のを流れる京の並みが、滲んで消えていった。