"家出と呼んだ警察を私は許さない" 第2話
醤油が切れれば隣の勝をけてもらい、夕方になればのあちこちから、子供を呼ぶ母親たちの甲い声が響き渡る。
その突き当たりの、段とくなっている所に、と航平のはあった。
あの、613の朝。 はいつものように午に目を覚ました。 流し台のにしゃがみ込み、たいで顔を洗うと、練炭の加根を調節してお釜をにかけた。 さなフライパンにく油を引き、卵をつ割り入れる。
航平の何よりの好物が、目玉焼きだった。 のエッジがしカリッとしていて、黄は絶対に崩さない半熟。 航平は、炊きたての麦飯のにその目玉焼きを乗せ、箸の先でそっと黄を突いて、とろりと流れたところを頬張るのが好きだった。
「黄、割れとらんね?」
寝ぼけで起きてきた航平が、で顔を洗いながら台所を覗き込む。 歳。学になったばかりだったが、同級よりもし背がく、肩の骨がいシャツ越しに浮きていた。
「割れとらんよ。綺麗に焼けた。はようべなさい、めるよ」
は笑って答えたが、その胸の奥はずっしりとかった。 そのは、港くの縫製でどうしても残業をしなければならなかった。 にの主任から、 「、遅くまで残れんのなら、代わりのはいくらでもおるんやで」
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とたく言い渡されていたのだ。
航平の学の費はヶ滞納していた。 夫が面に港湾事故でくなって以来、は女ひとつで航平を育ててきた。 クレーンのワイヤーが切れ、落した鉄パイプの敷きになった夫は、労災の補償も満に受けられないまま、の昏の末に息を引き取った。 歳で未となったに残されたのは、築の傾いた借と、まだ歳だった航平だけだった。
「航平、今はな、お母ちゃんの仕事が遅うなる。帰り、過ぎるかもしれん」
目玉焼きを器用にご飯のに移しながら、航平が箸を止めて顔をげた。
「残業?」
「うん。せやから、学終わったらどこも寄らんと、まっすぐ帰っとくんよ。鍵はいつものとこ、植鉢のに入れたるから」
「わかっとるよ。僕、もうやで。ひとりで留守番くらいできる」
航平はそう言って笑い、きなでご飯をかき込んだ。 文句ひとつ言わない子だった。 の子供たちが買ってもらっているスーパーカーの消しゴムも、流りの怪獣の形も、度だってねだったことはない。 母親の指先の節が々太くなり、になるとあかぎれで血が滲んでいるのを、誰よりも敏に見て取っていた。
べ終えた航平がちがり、玄関へ向かった。 駄箱のから、通学を取る。
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その元を見て、はさく声をあげた。
「あ、それ……」
航平のには、数にがなけなしのをはたいて買った、真っいスニーカーが履かれていた。 それまで履いていた黒いズックは、爪先に親指が見えるほどの穴がき、がるたびに靴がぐっしょりと濡れていたのだ。 箱からしたばかりの、まだゴムの匂いがする品の靴。
航平は恥ずかしそうに、でをトントンと鳴らした。
「お母ちゃん、今、これ履いていってもええ?」
「そりゃええけど、今はるかもしれんよ。で汚れてしまうやろ」
「丈夫、たまりは絶対踏まへんから」
誇らしげにい靴を見つめる息子の笑顔に、の胸の奥の苦しさがしだけらいだ。
「気をつけてくんよ。に気ぃつけてな」
「うん、ってきます!」
ガラガラと引き戸がき、初の朝の湿ったが吹き込んできた。 航平がを駆けしていく。 朝の柔らかい差しので、真っいスニーカーが、坂をぴょんぴょんと弾むようにねてりていった。 突き当たりの角を曲がる直、航平は度だけ振り返り、通学を振った。
それが、が見た息子の、最の姿だった。
*
午半。 のチャイムが鳴り響き、油と布埃にまみれたエプロンを脱ぎ捨てて、は坂を駆けがった。 急な階段を気にったせいで、臓が破鐘のように打っていた。
に着くと、玄関の引き戸には鍵がかかっていた。