"七年消えた母と五千万の温室" 第4話
私は部に戻り、黒いカーディガンを羽織ると、靴を脱ぎ捨てて素のまま階段を駆けりた。
勝のには、が吹き込んでいた。 たい滴が素の裏を濡らす。 私はサンダルを突っかけると、父がけ放していったドアの隙から、煙る裏庭へと滑りた。
裏庭は、敷の側に位置する広なデッドスペースだった。 いブロック塀と林に囲まれ、隣からの線は完全に遮断されている。
その最奥に、に沈む黒い巨塔のような建物が建っていた。
鉄骨造り、全面が透な波板ガラスで覆われた、巨な温。 母が姿を消したちょうどヶ、父が「蘭の栽培を始める」と言い張り、務の若い衆を総員して、わずか数で突貫事で建てさせたものだ。
だが、この、父が蘭の鉢植えを持ち込む姿など度も見たことがない。 入りの引き戸には常に無骨なチェーンと京錠が巻き付けられ、私が入ろうとすると、父は普段の温さからは像もつかない形相で鳴り散らしたものだった。
今、その温のガラス越しに、ぼんやりとした黄のかりが揺れていた。
私はに打たれながら、濘んだを踏みしめ、温の側面へと忍び寄った。 粒が容赦なく髪を濡らし、が皮膚に張り付く。たさで歯の根がわなかったが、恐怖と興奮で覚は麻痺していた。
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波板ガラスのなり目、わずかに隙が空いた換気に目を寄せる。
温の内部は、異様な景だった。 棚も、を盛ったプランターも何もない。 がらんとしたのに、自然なほど巨な直方体のコンクリート台座が鎮座していた。
さ約メートル、幅メートル、さセンチ。 それはまるで、剥きしの巨な棺桶のように見えた。
懐灯を面に転がした父は、そのコンクリートの塊のに、だらけの羽のまま正座していた。
「……はぁ、……はぁ……」
荒い呼気が、換気の隙から漏れ聞こえてくる。 父は両を伸ばし、たいコンクリートの表面を、狂ったように掌で撫で回していた。 撫するようでもあり、必に押し留めようとしているようでもあった。
「頼む……頼むから……」
父の声は、泣き声のように震えていた。
「もうすぐなんだ……還暦の祝いが終われば、会社の融資も本決まりになる……。頼むから、かないでくれ……てこないでくれ、登紀子……!」
ガリッ、と爪がセメントの肌を引っ掻くな音が響いた。 父の指先から血が滲み、のコンクリートに黒い筋をつけていく。
「おが悪かったんだぞ……。雅美の言う通り、あのを務に入れさせてくれれば、あんなことには……! なあ、登紀子……返事をしてくれ……いや、喋るな、頼むから喋らないでくれ……!」
蓋骨の奥を、氷の杭で打ち抜かれたような衝撃だった。
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やはり、ここにいたのだ。 母は、へなどっていない。 くの町へ逃げてもいない。
、私が学へき、友と笑い、事をし、眠りについていた、そのすぐ数メートルろのので。 母はこのたいの塊のに、閉じ込められ続けていたのだ。
全の震えが止まらなかった。 鳴が喉元までせりがってくるのを、私は両でを塞ぎ、奥歯を血がるほど噛み締めて必に押し殺した。
父はそのまま、コンクリートのに額を擦り付け、子どものように丸まって啜り泣きを続けている。 その背は、昼の「威厳ある社」の面など微もない、ただの追いつめられた罪のそれだった。
これ以見ていては、理性が焼き切れて叫びしてしまう。 私は証拠を掴むために、度母へ戻らなければならなかった。 警察を呼ぶにしても、あのコンクリートを割らせるための決定な名分がいる。
私は踵を返し、音を忍ばせて母への暗がりへと歩を踏みした。
ピチャリ。
を踏んだ、私の音ではない。
すぐ、のろだった。
傘を打つ音とは違う、何かが濡れた布を伝って滴り落ちる、ボタボタというい音。
「こんな夜更けに」
氷のような声が、私のを撫でた。
「こんなだらけになって……体、何を見ているの? 栞ちゃん」
臓が、喉からびねて面に落ちたかとった。