みかん小説
本棚

"七年消えた母と五千万の温室" 第5話

私は息を呑み、縛りに遭ったように体を直させた。 首筋の産毛が総ちになる。

ゆっくりと、軋む械のように首を巡らせる。

に煙る母の軒灯の暗いに、傘も差さず、いネグリジェのに黒いカーディガンを羽織った雅美がっていた。

が、彼女の乱れた髪から顎へと滴り落ちている。 その顔には、いつもの柔な笑みは片もなかった。

ただ、見かれたつの黒い瞳だけが、獲物を狙う爬虫類のように、じっと私を射抜いていた。

雅美の濡れた腕が、ゆっくりと持ちがる。 革のブレスレットはされていた。

剥きしになった、あの醜い蝶の形の傷痕が、に濡れて々しくっていた。

「こんな夜更けに」

元に吹き込まれた息は、氷のようにたかった。

「こんなだらけになって……体、何を見ているの? 栞ちゃん」

臓ががり、喉の奥が引きつった。 全の筋肉が張り、指先かせない。

粒が、額から目に入り込んで沁みる。 まばたきをすることすら許されないような、異様な圧。

私は息を殺しながら、軋む首を数ミリずつ回した。

煙る母の軒灯の暗いに、い寝巻き姿の雅美がっていた。 には傘も持たず、ただ黒いカーディガンをわせにして、ずぶ濡れのまま私を見ろしている。

広告

その首。 普段は隠されているはずの、歪な蝶の形の傷痕が、に濡れて々しくテラテラとっていた。

私ので、警告音が狂ったように鳴り響く。

ここで取り乱してはいけない。 「母を埋めたのはあなたね」と叫んだ瞬、私はこの夜ので消される。 母がそうされたように。

私は爪が掌にい込むほど拳を握りしめ、あえて奥歯をガチガチと鳴らしながら、震える声を作った。

「……雅美、さん……」

「ええ。私よ。どうしたの、こんなところで」

雅美は歩、濘んだへと素ろした。 パチャリ、という湿った音が、音の隙に落ちる。

「……お父さんの、声が聞こえたの」

私は温の換気を、怯えた目で見つめる芝居を打った。

階の部にいたら、で呻くような声がして……。お父さん、最臓が苦しいって言ってたから、発作でも起こして倒れたんじゃないかって、配になって……」

雅美の細められた瞳が、値踏みするように私の顔をう。 表の僅かな歪み、瞳孔の揺れ、呼吸のリズム。 すべてを観察し、私の言葉が嘘か真実かを切り分けようとしているのが分かる。

の内部から、ガタッという鈍い物音がした。 私たちの声に気づいたのか、父がからてくる気配がする。

雅美の線が、私から温の引き戸へと移った。 その横顔に、瞬だけ苛ちと軽蔑が混じったような、酷が差す。

広告

「……そう。お父さんを配してくれたのね」

雅美は再び私に向き直ると、ふわりと、いつもの柔らかい笑みを浮かべた。 だが、その目は全く笑っていなかった。

「お父さんは丈夫よ。還暦の祝いをにして、昔の現のことが々とされて、し神経がぶっているだけ。男のって、歳をとると急に気になったりするでしょう?」

雅美は私の肩に、そっとを置いた。 ずぶ濡れのパジャマ越しに、彼女ののひらの異常なが伝わってくる。

「栞ちゃん、邪を引いたら変よ。事な週末なんだから、くお呂に入って温まりなさい。……お父さんのことは、私がちゃんと部に連れて戻るから」

「……はい。ごめんなさい、騒ぎててしまって」

私はげ、度も温のガラスを振り返ることなく、に勝へと向かった。

に、線が突き刺さるのをじていた。 温の暗がりから覗く父の怯えきった目と、軒で見送る雅美の底れない瞳。

の引き戸を閉め、内鍵をかけた瞬、私はに崩れ落ちた。 膝の震えが止まらず、胃液が喉までせりがってくるのを、元を押さえて必に呑み込んだ。

翌朝。 は嘘のようにがり、の澄んだ青空が広がっていた。

「おはよう、栞ちゃん。昨は災難だったわね」

ダイニングに入ると、雅美が何事もなかったかのように朝の鮭を焼いていた。

首には、しっかりと革のブレスレットが巻かれている。

広告

おすすめ作品

リンクを共有

以下のリンクをコピーして友達と共有してください: