"残高220円の介護嫁" 第14話
私は歩、ろへ引いた。
健のが空を切り、畳の目をガリガリと引っ掻いた。
「おには関係ないなんて言わないでくれよ! 俺たち義理の姉弟だろ!? 兄貴がんでからも、俺がこうして顔を見に来てやってただろ!? 見捨てるなよ! ヤクザに殺される! 本当に殺されちゃうんだよ!」
涙とが、健のえられた顎から畳のにボタボタと落ちた。
級スーツの膝が擦り切れ、いワイシャツの胸元が乱暴にいている。
かつて、この部で「寄虫」と私を罵り、母の介護を「老いぼれの糞尿」と吐き捨てた男の、これが無惨な成れの果てだった。
私は、見ろした。
憐憫も、同も、片のすら胸には湧かなかった。
ただ、というい歳、たい夜の台所で、で薬をすり潰していた自分の孤独な背が、静かに報われていく覚だけがあった。
「健さん。お義母さんがくなる、最に何とおっしゃったか、ごですか?」
健が、涙でぐしゃぐしゃになった顔をげた。
「お義母さんはね、点滴の針が刺さったで、私の指を握ってこう言いました」
私は、義母の最の声をそのまま紡いだ。
『美奈子さん。あの子を、絶対に許しては駄目だよ。あの子を許したら、あの子は、自分ので獄を歩くことすら覚えないからね』
健の息が、喉の奥で止まった。
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「お義母さんは、あなたをんでんでいったのではありません。ただ、のとして、完全にあなたを見限ったのです」
その。
階から、規則正しい複数の音が響いてきた。
階段をがってくる、い革靴の音。
やがて、け放たれたままの玄関に、の男が姿を現した。
仕てのいチャコールグレーのスーツを着た、初老の男性。
そしてその隣に、黒いウインドブレーカーを着た、屈な体格の男。
「ごめんください。松本健さんですね」
初老の男性が、胸の内ポケットから警察帳を静かに提示した。
「品川警察署・活経済課の者です。それからこちらは、京方検察庁の捜査官です」
健の喉から、「ヒッ」と鳥の絞め殺されるような声が漏れた。
「昨、品川区役所監察から、静さん名義の座からの無断引きしと、融資契約に使われた印鑑についての容疑で告発を受理しました。それから株式会社都ファイナンスに対する無権代理契約に関して、印私文偽造・同使、ならびに詐欺未遂の容疑で、任同を求めます。までご同願います」
「あ……あ……違……違う……!」
健は畳のをずさりしようとした。
だが、ウインドブレーカーの男が素くいを詰め、健の両脇を背から確にロックした。
「松本さん、騒がないでください。所迷惑になります」
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カチャリ、と。
たい属の擦れう音が、静かな畳にさく響いた。
錠はかけられなかったが、健の自由は完全に奪われていた。
男たちに抱えげられるようにしてちがらされた健は、力なくをもつれさせながら、玄関へと引きずられていく。
タタキの段差をりる瞬、健が最にもう度だけ、振り返って私を見た。
その目には、憎悪も、りも、もう残っていなかった。
ただ、これから始まる果てしない取り調べと、返済能な借と、社会な破滅の暗に呑み込まれていく、怯えた物のだけが揺れていた。
「……美奈子……」
掠れたその呼びかけに、私は何も答えなかった。
ただ、背筋をまっすぐに伸ばし、く、静かに礼した。
それが、私のから松本健という男を、永久に消する儀式だった。
パタン。
玄関のドアが閉まり、複数の音が階段をりていく。
やがて、くでパトカーのドアが閉まる鈍い音が響き、エンジン音が初の並みの向こうへとざかっていった。
部のには、完全な静寂が戻ってきた。
窓のからは、京浜急の架をるの微かな音と、初の雀の鳴き声だけが聞こえてくる。
私は、散らかった畳のの類を枚ずつ丁寧に拾いげた。
遺産分割協議。
都ファイナンスの督促状。
それらをまとめてゴミ箱に入れ、最に義母の公正証だけを、文机の引きしの奥へと切に収めた。
そして、蹴ばされて歪んだ真鍮の鏧子を、仏壇の央の座布団のに戻した。
「……終わりましたよ、お義母さん」
誰もいない部に、私の声が静かに落ちた。
お腹が、さく鳴った。
そういえば、昨の夜から以何もにしていなかった。
私は台所へき、さな鍋にやご飯を入れ、汁を注いでにかけた。
蔵庫の奥から、義母が、のに自分で漬けた最の梅干しを粒取りす。
湯気がちり、汁の優しいりが狭い台所に広がっていく。
茶碗によそったい茶泡飯のに、赤く萎びた梅干しを乗せる。
文机のに座り、湯気のに顔を寄せた。
スプーンでひとくち、に運ぶ。
酸っぱくて、塩辛くて、そして汁の温かさが、張り続けていた私の胃の腑を、ゆっくりと解きほぐしていった。
目から、涙が粒だけこぼれ落ち、茶泡飯のに吸い込まれて消えた。
しい涙ではなかった。
痛むを見る。
消毒で荒れ、爪のえ際が割れた、清掃婦の私の。
だが、こので、私は誰にも恥じることなくをき抜いたのだ。
そして、このは守られた。
窓をけると、初の爽やかなが、カーテンをく膨らませながら吹き抜けていった。
砂壁に染み付いていた線の匂いは、いつのにか、初の若葉のりへと変わり始めていた。