"五十万円の便利妻" 第5話
の夫婦活で、私がその癖をらないとでもっているのだろうか。
「ごめんなさい。印鑑もカードも、持ってきていないの」
「……はあ!? ふざけるな! 実の庫にあるって言っただろ!」
浩司がわず声を張りげ、隣の席にいた主婦グループが怪訝そうにこちらを振り返った。 浩司は慌てて元をで覆い、真っ赤な顔で私を睨みつけた。
「庫をけたら、は空っぽだったのよ。お義母さんが、千葉の施設に持っていかれたみたい」
「あのクソババア……! 余計な真似ばかりしやがって!」
夫のから、自分を育ててくれた実の母親に対する汚い罵倒がこぼれ落ちた。 私はテーブルので、コートのポケットに入れた型のICレコーダーの録音ボタンを、爪先で確実に押し込んだ。
「印鑑がないなら、もういい! はでどうにでもする!」
浩司は苛ちに耐えかねたようにを掻きむしると、ビジネスバッグの底から、あの緑のを乱暴に引っ張りした。
昨、彼が私に突きつけてきた婚届だ。
「とりあえず、これに署名しろ。判子を押せ。役所にすのは俺がやってやる。とにかくく、俺を自由にしてくれ」
浩司は物のボールペンを私のに叩きつけた。 を引きせない焦りよりも、美穂との約束を果たし、自分が優位にっているという実をくに入れたいという衝が勝っているようだった。
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「由美、おもよく考えろ」
浩司はを乗りし、脅すようにたい線を私に突き刺した。
「おはもう、体を壊してパートのシフトもまともにこなせない体なんだぞ。毎、いロキソニンや湿布を処方してもらわなきゃ、朝も起きられないだろ? 俺の扶養かられて、どうやってきていくつもりだ?」
その言葉がた瞬、私の背筋を氷のような気が駆け抜けた。
私の体の部を壊したのは、誰なのか。
誰のために、い義父を抱えげ、骨をすり減らしたのか。
それを、この男は今、私を脅迫するための武器として使っている。
「しく俺の言う通りにサインしろ。ごねて俺をらせたら、万の切れどころか、来からの活費も治療費も、円たりとも払ってやらないからな」
浩司の顔には、完全な優越が戻っていた。 自分は総商社の係で、を稼いでいる。 病気でった妻は、自分の慈に縋るしかない。 そう信じて疑わない、卑劣な男の顔だった。
私は、唇を噛みしめそうになるのを必に抑え込んだ。 そして、わざと怯えたように線を伏せ、さく震える声を作った。
「……わかったわ。あなたの言う通りにする」
私は震えるでボールペンを握り、婚届の妻の欄に、丁寧に文字をき入れた。
『佐藤 由美』
そしてバッグから取りした認印に朱肉をつけ、所定の所に静かに押し当てた。
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赤い印が、緑の枠のに鮮やかに浮かびがる。
私がペンを置いた瞬、浩司は奪い取るようにしてそのを引っ繰った。 インクが乾いているかも確認せず、穴がくほど記入欄を見つめ、満そうに端を吊りげる。
「よし……! これで完璧だ」
浩司はの底から堵したように、きく息を吐きした。
「おもこれで肩の荷がりただろ。今まで俺の世話をしてくれたことには謝してるよ。おは本当に、物分かりの良い便利な妻だったな」
便利な妻。 、私の尊厳をすり潰した々の総括が、その言だった。
浩司は伝票を掴み、千円札を枚テーブルに放り投げると、勝ち誇った取りでレジへと向かっていった。 その背には、これからに入るはずの、若いとのバラの活への揚が満ち溢れていた。
けれど。 浩司は、何も分かっていなかった。
彼が今、事そうにバッグの奥くにしまい込んだそのは、彼を自由にするプラチナチケットなどではない。
自ら倫に溺れ、親の介護を妻に押し付け、った妻を脅迫して無理やり婚届にサインさせたという、決定な【悪の遺棄】のかぬ証拠。 それを、彼自がび勇んで、自分ので持ち帰ったのだ。
そして、彼がこれから向かおうとしている区役所の戸籍窓。 そこには、今朝の半――庁と同に、私が提を済ませておいた、もうつの類が厳に保管されていた。