"名前を消された入園届" 第19話
だが、彼はそんなことを気にする素振りすら見せなかった。
震えるだらけの指で、印鑑ケースの蓋をパチンと弾きける。 に収まっていた、本の印鑑の印面を確認した瞬。
康平の顔に、この世のものとはえない、歪で醜悪な笑みが広がった。
「あはっ……あははははッ!! 見つけた! 本物だ!! 実印だ!!」
康平はちがり、まみれので茶封筒をく掲げた。 封筒の隙から覗く、緑の母子帳の表と、検診記録の印字。
父が背から康平の肩を掴もうとを伸ばしたが、康平は狂ったようにを捩ってそれを躱した。 そして、アパートの階段の、のにへたり込む私を、から酷に見ろした。
その濁った瞳の奥には、完全な勝利を確信したの、耐え難いほどの優越だけがギラギラと渦巻いていた。
「俺の勝ちだ、」
康平は、引きちぎられた封筒と印鑑を自分の胸ポケットに乱暴にねじ込み、嘲笑うように吐き捨てた。
「実印も、入園の原本も、全部ここにある!! これさえ役所の奴らに見せりゃあ、名義変更も、蓮斗の入園も、全部俺のい通りだ!! 受理申だろうが何だろうが、本物の印鑑と原本を持って窓に乗り込みゃあ、どうとでもなるんだよ!!」
彼は歩、ずさりながら、私に向かって唾を吐き捨てた。
「、おは陽菜を抱えて、そこで慘めに泣いてろ!! このガキ連れて、ので乞でもしてろよ!!」
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康平はを翻すと、股でのへとりした。 通りで待たせていたのか、アイドリング音を響かせていた台のタクシーのドアがき、康平はそのへと転がり込んだ。
バタン、とドアが乱暴に閉まり、は濁った排気ガスを朝の湿った空気に吐きしながら、猛スピードでりっていった。
ざかるタクシーのテールランプ。 たいコンクリートの面のには、引き裂かれた私のバッグの残骸と、に汚れた陽菜のオムツだけが、惨めに散らばっていた。
たいが、破れたストッキングの繊維を伝って、膝の皮膚にしみ込んでいた。
ざかるタクシーの赤いテールランプが、朝の湿った靄のに滲んで消えていく。 排気ガスの酸っぱい匂いだけが、アパートのの狭いに滞留していた。
「……あ……あぁ……」
声にならなかった。 私はアスファルトのに両をつき、に汚れた面を見つめていた。 首にい込んでいた皮のトートバッグの持ちは、引きちぎられ、黒いビニールの断面が毛羽っている。 散らばった銭。に浸かった陽菜のおむつ。 そして、さっきまで私のの内にあったはずの、あのつのもの。
印鑑ケースと、茶封筒。
取られた。 私の実印。 陽菜の母子帳の原本。 保育園の内定通。
私と陽菜が、この酷な世界で自分たちのを証するための、最の武器。
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それが今、あの男のだらけのポケットのに収まり、役所へと運ばれていく。
「陽菜……ごめんね……ごめん……」
胸元の抱っこ紐ので、陽菜がしゃくりげるようにして泣いていた。 寒さと恐怖で、さな背が刻みに震えている。 私はに濡れた自分の両で、娘のえ切った頬を包み込もうとした。けれど、私の指先にはと砂利がへばりついていて、触れることすら躊躇われた。
終わった。 私の負けだ。 あとしで、役所の調査員があの団にやって来る。 康平は奪い取った類と実印を突きし、涼しい顔で「母親は失踪した」「妹が代わりに育てる」と申告するだろう。 窓に受理申をしていたとしても、現物の実印と本物の類を持った父親が目ので喚き散らせば、役所のは面倒を嫌って続きを保留にし、陽菜の内定枠は宙に浮く。 そして、そのに志織の息子が、特例措置という名目でその枠に滑り込む。
私には、もう何もない。 も、おも、娘の居所も、すべてあの兄妹に奪い尽くされた。
涙がボロボロと溢れ、のに落ちて輪を描いた。 腹部の帝王切の傷跡が、気のせいでキリキリと引きつるように痛む。 起きがることすらできなかった。 私はただ、壊れたトートバッグの残骸の横で、まみれになってうずくまることしかできなかった。