"側溝の底のGPS" 第1話
にまみれたプラスチックの破片を、古い歯ブラシで擦ったときだった。
カチリ、とい触が指先に返ってきた。
黒ずんだ汚の膜をこそげ落とした親指の腹ので、んだはずのさな赤いランプが、まるで途絶えかけた臓の鼓のように、度だけ、微かに滅した。
のたいががったばかりの、曜の朝だった。
午分。 台所の換気扇が、油の切れたベアリング特の、くぐもった属音をてて回っている。
私はパイプ子の端に浅く腰掛け、卓のプラスチックのボタンを指先で弾いていた。 液晶画面に表示された数字は、万千円。
来引き落とされる、学の男・蓮(れん)の期講習代と、志望別特訓の受講料だった。 その横には、井友の宅ローン返済予定表が広げられている。 借入残、千百万円。 の変利。 わずか〇・パーセントの利昇通が届いたばかりの圧着ハガキの角が、台所の湿気を吸ってさく波打っていた。
「……志乃」
背で、い引き戸が軋む音がした。 夫の康平だった。 すでに汚れた作業を着込み、首には褪せたタオルを巻いている。 元には、つま先に鉄芯の入ったい全靴。
「起きてたのか」
「ええ。蓮のお弁当、詰めたところだから。
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朝ごはん、しでもお腹に入れたら? お噌汁、温まってるわよ」
私の言葉に、康平は首を横に振っただけだった。 、メーカーのシステム管理部を「適応障害」という名目で退職して以来、彼は極端に言葉を失っていた。 今はの課から請けにされる、や管の維持管理をする零細企業で、雇いにい作業員として働いている。
爪の隙には、いつも落ちきらない黒いヘドロの臭いが染みついていた。 かつてキーボードを叩いていたく清潔だった指先は、今では角質がくひび割れ、がづくたびに黄い絆創膏が何枚もねて貼られている。
「……いらない。現、今はいから」
それだけ言うと、康平は玄関へ向かった。 サンダルを履き替え、ドアノブにをかける。 その背越しに、私は努めてるい声を絞りした。
「夕方には戻る? 今、隣の寺内先のところへ、回覧板とお裾分けの柿を持っていかないといけないの。緒に顔をしてくれたら、先もぶとうんだけど」
康平のが、ドアノブのでピタリと止まった。 背が、わずかに張ったように見えた。
「……俺はいい。おでけ」
ガチャリ、といラッチが噛みう音がして、夫の音は湿った朝の舗装へと消えていった。
私はさく息を吐きし、ダイニングテーブルのの卓を片付けた。
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ため息をつく暇すらない。 蓮を起こし、計算ドリルを解かせ、めた焼き鮭の皮を剥がしてべさせ、塾のテキストでパンパンに膨らんだリュックサックを背負わせて送りさなければならない。
この町で、普通の母親としてきること。 それだけが、今の私を辛うじて繋ぎ止めている細いワイヤーだった。
この興宅は、ほどに古い果園を切りいて作られた、全区画の建売宅だ。 どのも似たようなベージュのサイディング壁に、申し訳程度の芝の庭。 民のくは、都へかけて通勤するサラリーマンと、パートや専業で庭を守る主婦たちだ。
そして、その均質で穏やかな宅の「良」として君臨しているのが、私たちのの真向かいにむ寺内(てらうち)先だった。
元の学でく教を務め、退職した今も学区の民委員と自治会の幹事を務める名士。 寺内先の孫の俊くんは、蓮の歳で、この域から滅にない超難関私貫へ推薦で格し、現は都内の国学の医学部を目指しているという。
「母親の狂気と言われようが、子供の将来のレールを敷くのが親の務めです」
自治会の集会で寺内先がそう微笑むとき、誰もがく頷く。 彼の言葉には、反論を許さない絶対な正しさと、微かなたさが同居していた。