"消された母親の席" 第1話
え切った駐のコンクリートに、私は両膝をついていた。
が物のスラックスの布を抜け、皮膚へと染み込んでいく。指先はとうに覚を失っていた。使い古した豚毛の歯ブラシを握りしめ、私は条綾さんの——マットブラックに塗装された巨なカイエンの、輪のタイヤの溝に詰まったを、本本掻きしていた。
慶初等部の正をくぐるに、のね返りがあってはならない。それが、お受験対策サロンの「代表幹事」を務める綾さんが定めた、絶対の掟だった。
コツ、とでい音がした。
カイエンのスモークガラスが、わずかセンチだけ滑りりる。の効いた内から、等なレザーと檀のフレグランスが混ざりった温かい空気が漏れしてきた。
運転席から見ろしているのは、私の夫である修平だった。
「真奈美、際よくやってくれよ」
修平の声には、苛ちすら含まれていなかった。ただの業務連絡のように平坦で、え切っていた。
「綾さんのだ。の朝番で、昂くんを町の幼児教へお送りするんだから。がんでボディに傷でもついたら、僕たちのがないだろう」
「……わかってる」
私は顔をげず、震える唇からそれだけを絞りした。
修平は慶学園の系列で本史を教える、ごく平凡な専任教諭だ。
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収は同世代の平均並み。教員宅の狭いで爪にをともすような暮らしをしながら、歳の娘・葵を慶初等部へねじ込むため、私たちはこののすべてを綾さんに捧げてきた。名初等部の否を握るのは、ペーパーテストの点数ではない。理事会に絶な響力を持つ条からの「推薦添え状」と、保護者面接で示される「庭の絶対な従順さ」だ。
そのためなら、夜の駐でののタイヤを洗うことくらい、耐えなければならない。すべては葵の未来のためだ。母親である私がを被れば、あの子はあの眩しい名のをくぐることができる。
そう信じていた。
あの異変に気づいたのは、のことだった——。
*
の午、築の教員宅のダイニングキッチンには、苦しい湿気が充満していた。
換気扇の油汚れがカタカタとな属音をてている。の蛍灯は本が切れかけており、数秒ごとに青いを点滅させていた。
卓のには、慶初等部の過問、願の志望のき、そして毎の幼児教から送られてくる請求が積みになっていた。直特訓講習費、万。観察特別ゼミ、万。学別模擬面接指導料、万千円。鉛で何度もき直された計簿の余には、今の赤字を示す赤いマイナス記号が痛々しく並んでいる。
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私は、パイプ子に腰掛け、葵の面接用本番スーツにスチームアイロンをあてていた。
濃紺の質なウール素材。慶の指定仕てで作らせれば万円はらないそれを、私はフリマアプリで半張り込み、型落ちのものを万千円で落札した。袖の擦り切れを解き、裏を剥がし、ミリ単位で葵の体型にわせて縫いで補正し直していた。
シューッ、と蒸気がちる。
アイロンを置き、葵の腕の袖に指を入れたときだった。
見返し布の奥、普段なら決して触れることのない肩パッドの芯の隙に、指先が触れた。
何かが、挟まっている。
ウールの弾力とはらかに異なる、乾いたの触だった。それも、仕ての際に使われる接着芯のさではない。いが、さくつ折りに畳まれて、パッドの裏側に業用のメンディングテープで厳に貼り付けられていた。
「なに、これ……」
声が漏れた。
裁縫箱からさな糸切りばさみを取りし、縫い目を傷つけないよう慎に刃先を滑らせる。プツ、プツと絹糸が切れる音が、静まり返った部にやけにきく響いた。
ピンセットでテープの端を浮かせ、隙からその片を引きずりす。
それは、経劣化で隅がわずかに黄ばんだ、の領収だった。
番に印刷されていた文字を見た瞬、私の指先が止まった。