"消された母親の席" 第15話
男がギョッとして顔をげた。
「な、何だあんた……関係者以ち入り禁止だぞ」
「修平の妻です」
私はく、落ち着いた声で言った。 『修平』という名を聞いた瞬、男の喉仏がさくした。
「毎万円の送を確認に来ました。佐久由紀さんに、ほんの分だけ会わせてください」
「冗談言えよ、由紀さんは完全面会謝絶だ。見つかったら俺がクビになる」
男はそう言いながらも、私ののの万札から目をさなかった。 施設が来週閉鎖されるなら、この男の料も未払いの能性がある。への飢えが、濁った瞳にありありと浮かんでいた。
私はさらに万円を追加した。計万円の札束を、男のの胸ポケットへ直接ねじ込む。
「分で結構です。誰にも言いません。もし騒がれたら、警察へ通報します。この施設が来週どうなるか、あなたもっているでしょう?」
男の頬が引きつった。 彼は周囲の暗を油断なく見回すと、舌打ちをつして、腰の鍵束をジャラリと鳴らした。
「……だ。音をてるなよ」
い鉄扉がかれ、私は男のについてへと続く階段をりた。
通の空気は、のそれとは完全に異なっていた。 を突く濃な消毒液の臭気。古い排泄物の饐えた臭い。そして、壁の奥から絶えなく聞こえてくる、換気扇の周波の唸り。
広告
まるで、き埋めにされた巨な墓の底を歩いているようだった。
「ここだ」
男は番奥の、窓のない鉄のドアのでを止めた。 部番号プレートには、黒マジックで『B-03』とだけかれている。
鍵穴に鍵が差し込まれ、々しいラッチがれる音がした。
「分きっかりだぞ。過ぎたら鍵を閉めて置いていくからな」
男がドアを押しけ、私をへ押し込んだ。
バタン、と背でドアが閉まり、施錠される音が響く。
部のは、暗い豆球がつ灯っているだけだった。 コンクリート打ちっぱなしのえ切ったの央に、パイプベッドが台。 その脇に、子が置かれていた。
ベッドのに、があった。
やせ細った毛布に包まれ、井の点を見つめるようにして横たわっている女。 髪が混じった髪は乱雑に切り揃えられ、頬は骨の形が浮きるほどに落ち窪んでいる。
だが、その顔ちの輪郭を見た瞬、私の息が喉に詰まった。
条綾に、酷似していた。 歳ほど老いてはいるが、い梁、切れの目元。かつて名の令嬢として脚を浴びていた頃の面が、廃墟のような肉体の奥に、かすかに残されていた。
そして、その顔の半分には。 額から頬にかけて、ケロイド状に盛りがった、凄惨な古傷がっていた。 の転落事故の、々しい痕跡。
広告
「……佐久、由紀さんですか」
私が震える声で呼びかけると、毛布のの体が、ピクリと反応した。
由紀さんはゆっくりと、軋むようなきで首をこちらへ向けた。 濁った茶の瞳が、暗のにつ私を捉える。
彼女の唇が、乾いた音をててかすかにいた。
「……だれ……? 綾の……使い……?」
掠れきった、使われていなかったかのような、かすかな気音。
私はベッドの脇へ歩み寄り、膝をついた。 え切ったパイプの触が、ジーンズ越しに膝の骨へ伝わってくる。
「違います。私は、相沢修平の妻です」
『修平』という名を聞いた瞬、由紀さんの瞳に、狂気じみた恐怖のがった。 細い首筋の血管が浮きがり、彼女は毛布を爪で掻きむしるようにして、ベッドので悶えした。
「かえ……帰って……! おなら……もうないわ……! 私を……どこへ連れてく気……!」
「落ち着いてください、由紀さん! 私はあなたを害しに来たんじゃない!」
私は叫び、彼女の暴れるを、とっさに両で包み込んだ。
骨と皮ばかりになった、氷のようにたい。 私ののぬくもりが伝わったのか、由紀さんの荒い呼吸が、ほんのしだけ静まった。
そのだった。
私のトレンチコートの袖が捲れがり、暗い豆球ののに、私の首が剥きしになった。
由紀さんの線が、私の首に落ちた。
皮膚のに浮かびがる、あの淡いの痣。
空を翔ける鳥の形をした、鳥のあざ。
由紀さんの喉が、ヒュッ、と引き攣ったような音をてた。