"十年前に死んでいた夫" 第13話
私はのに両をついた。 たいが指の隙から溢れ、爪のに入り込む。 そのまま、く、額が面に触れるほどに、のにを擦り付けた。
「……申し訳ありませんでした」
声が震えた。 私の過ちではない。 私がをつけたわけでも、私が排気を閉めたわけでもない。 けれど、こののたさは、夫が数、その魂の底で受け止め続けてきたたさそのものだった。 あのが名乗れなかった名、あのが引き受け続けた罪のさを、今、私が引き受けなければならなかった。
「申し訳ありませんでした、お母様」 私はのから顔をげず、叫ぶように言った。
「主は……輪敬は、の未に、京で息を引き取りました」
振りげられていた箒が、宙で止まった。 の音だけが、のを吹き抜けていく。
「……何だって?」 老女の声から、鋭さが抜け落ちていた。 代わりに、呆然とした、宙吊りのような響きが混ざっていた。
「敬さんは、くなりました。全でした」 私はをげたまま、涙でぬかるむを見つめて言った。
「病院のベッドではありませんでした。おもなく、保険証も持たず、古いアパートの畳ので……私に取られて、逝きました。最まで、自分の名を誰にも言えずに……ただ、この鳥を削りながら、苦しんで、んでいきました」
バサリ、と音がした。
広告
老女のから、箒がのに落ちた音だった。
顔をげると、老女は両をだらりとげ、幽霊のように突っっていた。 その顔から、切のが消え失せていた。 りも、憎しみも、勝利すらもない。 ただ、自分が数憎み続けてきた相の「」という事実を、受け止めきれずにち尽くしている老だった。
「……んだのかい」 老女の唇が、頼りなくいた。 「あいつが……敬が、んだのかい」
「はい」
老女はを仰いだ。 夜空にはつなく、ただ暗澹たるが垂れ込めているだけだった。 やがて、老女の喉から、掠れた嗚咽のようなものが漏れた。 笑っているのか、泣いているのか、自分でも分からないような、壊れた笛のような声だった。
「んだか……そうかい。んじまったかい……」
老女はふらふらとずさりし、がり框(かまち)に腰を落とした。 その背は、先ほどまでの凶暴さが嘘のように、さく丸く縮んでいた。
「……がりな」 老女はを指差した。 「そんなところで座されたって、何のしにもなりゃしない。……入れ」
案内された部は、畳の暗い空だった。 真んに置かれた古い油ストーブが、赤いを々しく灯している。 壁のベニヤ板は飴に変し、所々に漏りの染みが広がっていた。 部の隅には、さな造り付けの仏壇があった。
広告
線の煙が細くちり、真鍮の鈴(りん)の横に、写真てがつ置かれている。
写真のにいたのは、セーラーを着た、歳かそこらの女だった。 し歯をのぞかせて、眩しそうに笑っている。 その瑞々しい笑顔が、この湿気と埃にまみれた部ので、あまりにも痛々しく浮き彫りになっていた。
「志保です」 私は写真を見つめながら言った。
「そうだよ」 老女——フミさんは、ストーブのに座り、油の炎を見つめていた。 で汚れた私のために、古びたタオルを枚放りしてくれた。 「自の娘だったよ。器量も良くてね、も良くて。学をたらへって、護婦になりたいって言ってたんだ。でも、うちの亭主がくにんじまってね。おがないから、輪所でみ込みで働かせてもらったんだ。敬さんの親父さんは、いいだった。志保を実の娘みたいにがってくれてね……。だが、あの親父さんがくなって、敬さんがを継いですぐだった。あの事が起きたのは」
フミさんの声には、先ほどの激はなかった。 ただ、何千回も何万回もので反芻してきた記憶を、淡々と引きしから取りすような調だった。
「敬さんはね、必だったよ。あの子を助けようとして、のにび込んでくれた。それは分かってる。責めちゃいけないって、所のたちもみんな言ったさ。
でもね……」 フミさんは、節くれった指をぎゅっと握りしめた。 「病院の集治療で、管だらけになってピクリともかないあの子を見た、あたしのは狂っちまったんだよ。