"退職金と三百万円の借金" 第5話
その温もりに触れた瞬、張り詰めていた私の目から、あふれそうになる涙が込みげた。
「常務……実は、先ほど事から、信じられないものを見せられたんです」
「信じられないもの?」
「はい。、夫がくなった直に、私が会社から百万円を借り入れたという借用です。私の印鑑が押されていて、退職から相殺すると言われました。でも、私、そんなお借りていません。付は、男の告別式のなんです。誰かが私の名を騙って……」
私がそこまで言いかけただった。
川常務の顔から、ふっと、あの温な笑みが消えた。
まるで能面のように、表の筋肉が完全に凍りついていた。
「……常務?」
私が訝しんで呼びかけると、川常務の線が、私の元にある借用のコピーへと落ちた。
そして、その目は微かに泳ぎ、廊のへ、そして誰もいない壁の向こうへと、自然に逸らされた。
いつも堂々としていて、誰に対しても真っ直ぐに向きってきたあのが、私の目を、決して見ようとしなかった。
廊に、苦しくたい沈黙が落ちた。
廊に落ちた苦しい沈黙を破ったのは、くのエレベーターが到着を告げる無質な子音だった。
川常務は、泳がせていた線をゆっくりと戻すと、どこか痛ましいものを見るような目で私を見つめた。
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「……静枝さん。ち話もなんだ。今はもう帰りなさい」
「常務、ですが……」
「浦から話は聞く。君がどれほど揺しているかは痛いほどわかるよ。だが、以勤めげた最のに、そんな血相を変えて社内を駆け回るものじゃない。男君だって、そんな君の姿を見たらしむ」
その声は、かつて夫が急逝した夜、霊で私の肩を抱いてくれたとまったく同じ、い慈に満ちていた。
だが、私の胸にった戦慄は消えなかった。
川常務は、品の創業者族ではない。卒の叩きげで倉庫の荷役からスタートし、夫の男と共に物流部を会社の核へと押しげ、やがて役員にまでり詰めただ。現の誰よりもにく、正や怠惰を何よりも嫌うだった。
そのが、なぜ「百万円の借用」という言葉を聞いた瞬に、目を逸らしたのか。
「……失礼いたします」
私はそれ以追及せず、くをげて本社の自ドアをた。
には、あの束と、同僚たちの寄せき。そして、コートのポケットに押し込んだ枚のたい複写用。
見慣れた駅への帰り、夕暮れのたいが頬を叩いた。の勤続を終えた達成など、どこにもなかった。あるのは、元からじわじわといがってくる、たい疑の沼だけだった。
その夜、私は自宅の仏壇のに正座していた。
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線の煙が細くちり、遺のの男が、し照れたような笑みを浮かべてこちらを見ている。、歳で急逝した夫。几帳面で、曲がったことが嫌いで、輩の面倒見が良くて、誰からも慕われていた。
「男さん。あなた、私に黙って何かを背負っていたの?」
遺に問いかけても、静まり返ったには柱計のコチコチという音しか響かない。
翌朝、私は喪ではなく、普段通りのなスラックスとステンカラーコートをに纏い、再び品の本社へと向かった。
事部の浦が提示した猶予は、週けの曜までの実質。
退職の千百万円は、現「精算保留」として凍結されている。もし曜の朝までにこの百万円の正体を証できなければ、会社は規定通り、借入元と遅延調を退職から相殺し、残額のみを振り込んで事務続きを制終させる方針だった。
それでは、私が百万円を着したという記録が、社内帳簿に永に残ってしまう。
(絶対に、そんなことはさせない)
午。私は本社の通用ではなく、敷の裏にある巨な物流センターの搬入へ向かった。
品の京央物流センター。型トラックがひっきりなしに入りし、フォークリフトの警告音が鳴り響く、埃と段ボールの匂いが染みついた所。
私と男が、の半を過ごした現だ。
事務所のドアをけると、作業着を着た若い社員たちが忙しなく話対応をしていた。