"婚姻届の帰り道、残高は1億円だった" 第2話
別れ際にそう言われたのことを、今でもたまにいす。誠実に働いているつもりだった。のためにきているつもりだった。それでも報われないものは報われない。私は誰かに本当に必とされる護師でありたかった。そしていつか必ずあの恩を見つけ、15分の謝を伝える。それがもう1つの譲れない願いだった。その願いがいもよらない形で叶うことになるとは、このの私はまだりもしなかった。
その老が私の受け持ちになったのは、桜が散ったの終わりだった。原源郎、で言えば76になる。痩せこけた体の男だ。もう治療のがなく、残されたを穏やかに過ごすための緩病棟にそのはいた。
とにかくが悪かった。護師が体温計を買いにけば舌打ちをし、事を運べば「こんなみたいな粥がえるか」と突っ返す。若い護師の何かは、彼の担当になるのを骨に嫌がった。
私が初めて検温にったもそうだった。「触るな。俺はまだの世話になるほど焼きが回っちゃいねえ」と老は鳴った。 私はカルボードを抱えたまま、微だにせずに微笑んだ。 「そうですか。でも、があると眠れませんから、しだけ失礼しますね」
私はじずに体温計を脇へ差し入れた。老はギロりと私を睨んだが、それ以は何も言わなかった。
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く護師をしていれば分かることがある。ああ、声をざけるほど、その内側で途方もない寂しさを抱えていることがいのだ。
源郎さんの痛みはを追うごとにくなっていった。夜、こきれずに漏れるうめき声を、私は幾度も聞いた。痛み止めの量には限りがある。それでも私はの許す限りそのをさすり、背にを当て続けた。
「護師さんよ、あんた、なんで俺なんかにそこまでする?」
ある、痛みがし引いた、老がポツりと言った。 私は彼の枕元でカルテを閉じ、首を振った。 「そこまでなんてしていませんよ。痛いのをしているを放っておけない。ただそれだけです」 「変わった女だなあ」 「そんな性分なんです」
そう言いながらも、その声はどこか柔らいでいた。が細くなっていく老が、唯きちんとをつけたものがあった。私が所ので見つけて持ち込んだ、麹の甘酒だった。
「悪くない。だがな、麹のて方が甘い。俺ならこんな雑な作りはせんよ」
すすって、老は相変わらず悪態をついた。けれど、湯呑みを持つは止まらなかった。酒作りの話になったにだけ、その目にはきていた頃のが戻る。私はそれから彼のにいそうなものを探しては、そっと枕元に置くようになった。
彼の元には誰1として見いに来なかった。
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族の話を振っても、老は決まってをつむる。ただ1度だけ、「息子がいる」と絞りすように言ったことがあった。それきりその話は固く閉じられた。酒蔵の主だったらしい。の甲には、の仕事で刻まれた無数の傷跡が残っていた。その傷を、老は折懐かしむように撫でていた。
季節がへ移る頃、源郎さんの容態はしずつり坂に入っていった。ある晩のことだ。消灯の静かな病で、私が寝返りを伝っていると、老がふいにこう切りした。
「なあ、あんた、名は桐み咲だったな」 「はい、桐み咲です」 「おの親父さんは郎さんか。昔、建設の仕事をしていた」
臓がきくねた。なぜこのが父の名までっているのか。私はわず老の横顔を見つめた。老はしばらく井を見つめた、乾いた唇をゆっくりとかした。
「私だ。あ、おの親父さんの術のをしたの……匿名の投資ってやつは、この俺だよ」
が止まったようだった。15、顔もらないまま探し続けた恩が、今目ののベッドに横たわっている。私は言葉を失い、ただその痩せたを握りしめることしかできなかった。
「どうして、どうして父を助けてくださったんですか?」 やっとのいで私はそう尋ねた。それだけはどうしてもりたかったけれど、老は固く目を閉じたきり、黙り込んでしまった。
その理由だけは、最まで決して語ろうとはしなかった。