みかん小説
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"婚姻届の帰り道、残高は1億円だった" 第10話

孝介さんは驚いたように目を見き、それからくしゃりと顔を歪めた。泣くのをこらえているようだった。この器用ながこんな顔をするのを私は初めて見た。

その夜、蔵に戻ると孝介さんは言実だった。 「夫婦になった以、あんたに隠し事はしない」 そう言って彼は庫をけた。会社の分い帳簿も、いくつもの通帳も、実印さえも、全て座敷のに並べて私に見せた。もう1つ隠すものはないというように。私はその1つ1つをただ静かに眺めていた。議とは凪いでいた。正体をってもこのへの気持ちは何ひとつ変わらない。無器用で誠実な、あの酒蔵の男のまま。変わったのは私の見る世界の方だった。

婚姻届をしてから、源郎の命の灯は最のしずくを静かに燃やしていた。私たちは交代で病に泊まり込んだ。孝介さんは蔵の仕事のを縫っては駆けつけ、父親の枕元に座った。私はそのそばで点滴を変えたり、乾いた唇を湿らせたりした。

郎は識のはっきりしている、昔話をよくした。 「こす、おガキの頃、蔵の仕込みを勝んで腹を壊したことがあったなあ」 「覚えてない」 「嘘をつけ、3も寝込んだくせに」 源郎がか細い声で笑う。孝介さんはバツが悪そうに横を向いた。父と子の何でもないやり取り。

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20もの失われていたしずつ取り戻されていくようだった。

私が背をさすっていると、老はふと私にだけ聞こえる声で言った。 「み咲さん、あんたはあいつにはもったいない嫁だ。だが頼む、あのっ張りをしつけてやってくれ」 「しつけだなんて、私の方こそあのに助けられてばかりです」 源郎は目を細めてさく頷いた。それ以は何も言わない。

穏やかなだった。けれどその穏やかさが終わりのいことを告げていた。 ある夜のことだ。ふいに識のはっきりした源郎が、私と孝介さんを枕元へ呼んだ。その目にはこれまでにない力がこもっていた。 「こす、よく聞け」 「ああ」 「蔵と……あれだけは何があっても、誰にも渡すな」 かかれたけれどはっきりとした声だった。 「その湧は先祖から預かったこのの宝だ。になんぞ変えられん。玲子にも、誰にも指1本触れさせるな」 孝介さんは父親のを握り、く頷いた。 「分かっている。必ず守る。約束だ」

その言葉を聞いて源郎はしたように、しだけ表を緩めた。それが源郎の遺言になった。

それから2の朝だった。私が病に入ると、源郎の呼吸はもう随分と浅くなっていた。私はすぐに孝介さんを呼んだ。私たちはからそのを握った。

郎はく目をけ、私たちを順に見た。

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そして最の力を振り絞るように私のを取り、孝介さんのをそっとねた。言葉はなかったけれど、そのが全てを語っていた。 「この子を頼む。2きていけ」 そう確かに聞こえた気がした。私と孝介さんのを包み込むように握ったまま、源郎は眠るように静かに息を引き取った。

もうあのうめき声を聞くことはない。病は痛いほど静かだった。私は護師として幾もの最を見送ってきた。それでもこのは特別だった。15探し続けた恩。そして私に、この――孝介さんを託してくれた

孝介さんは父親の顔に静かにを当てた。声をあげて泣きはしなかった。ただその肩がさくいつまでも震えていた。

その夜、通夜の灯を守りながら、孝介さんはぽつりと言った。 「親父は最まで蔵とを案じていた」 「ええ。あの湧を狙っているのは玲子だけじゃない。に話した『商』。あそこもずっとこのを欲しがってきた」 煙の細い煙がまっすぐっていく。 「だが渡さない。親父との約束だ。この蔵もも、俺が命に代えても守る」 その横顔は静かだったが揺るぎなかった。私はその決を隣で確かに受け止めた。

葬儀は蔵の座敷でしみじみと執りわれた。あいのさな集落だ。集まったのは隣の々と職たち。

はないがのこもった温かい弔いだった。くのが源郎の頑固さとその裏にあった器用な優しさを々に偲んだ。

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