"解雇された職人が未明に餡を練る" 第11話
「美咲ちゃん……」
健太さんが顔をげた。 煤と涙で汚れたその顔に浮かんでいたのは、底なしの憎悪と、それ以のい絶望だった。
「俺……本当はさ……」
途切れ途切れの、掠れた声だった。
「豆の匂いなんて……嗅ぎたくもなかったんだ」
「健太さん……」
「菓子なんて、嫌いだったんだよ……! 見たくもなかった……! なのに……なんであいつは……なんであいつは、俺を解放してくれないんだ……!?」
『あいつ』。
その単語が、私のに鋭く突き刺さった。
健太さんは今、誰のことを言ったのか。 自分を酷に突き放し、絶望へと追い込んだ実の母親、子さんのことか。 それとも――。 自分に菓子作りの技術を教え込み、逃げを塞ぐようにこのを支え続けてきた、佐野藤子さんのことなのか。
包帯を巻く私の指先が、恐怖でさく震えた。
厨の換気扇が、焦げた煙の残骸をへと吸いし続けている。 たい夜が、勝の隙から容赦なく吹き込んできていた。 配盤の裏のフックには、もう鍵はぶらがっていなかった。 今の昼、子さんが自分ので回収したのだ。
退は、完全に断たれていた。 周の記特売の当まで、あとも残されていなかった。
救急来の待の空気は、消毒液と湿ったの匂いが混ざりい、く沈んでいた。
午。 点滴スタンドの軋む音と、くのナースステーションで鳴る子音だけが、コンクリートの廊に反響している。
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処置から子に乗せられててきた健太さんの腕は、指先から肘の関節くまで、何ものい包帯でミイラのように巻かれていた。傷の度は度。沸騰した糖度のい餡は、ただの湯よりもはるかに皮膚へ張り付き、肉の奥くまでを伝えてしまう。医師からの説は簡潔で、それだけに容赦がなかった。
「最でも週は、その腕をに濡らすことも、いものを持つこともできません。無理にかせば皮膚の引きつれが残ります」
健太さんは、鎮痛剤のせいか虚ろな目で、のタイルの目を見つめたまま言も発しなかった。 濡れタオルで顔の煤を拭き取ったあとの肌は気で、唇は血の気を失ってカサカサに乾いていた。
「……健太さん。タクシー、呼びましたから」
私が声をかけても、健太さんはただ、健常なで点滴の針が刺さった甲を々しく押さえただけだった。 に戻る、夜料のタクシーの内でも、彼は部座席の隅にを縮め、まるで壊れ物を運ぶのように自分の腕を抱え込んでいた。
がみ始めていた。 柳堂のにが止まった、シャッターの閉まったのには、すでに焦げ付いた異様な臭気が漂っていた。 昨夜のボヤ騒ぎを聞きつけたのか、向かいの茶葉の勝から顔をした主が、私たちを見て怪訝そうに眉をひそめた。
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健太さんを階の自の布団に寝かせ、痛み止めとを枕元に置いた。 彼は布団をから被り、壁に向かって丸くなった。 「ありがとう」とも「すまない」とも言わなかった。ただ、その痩せた背が、息を吸うたびにさく、引きつるように揺れていた。
階にりると、帳の灯がすでに灯っていた。
子さんは、昨夜と同じの着物のまま、帳机に向かって座っていた。 徹夜でもしていないはずなのに、乱れたれ毛つない。 だが、その机のには、普段なら決して見られない景が広がっていた。
周の予約伝票の束が、真っつに分けられていたのだ。
「……奥様。健太さんは、横になりました」
私の声に、子さんは顔をげなかった。 にした黒の油性ペンで、伝票の肩に太い斜線を引いていく。 キュッ、キュッ、とフェルトの擦れる障りな音が内に響く。
「町内会のところには、さっき話を入れました」
子さんの声は、驚くほどかすれていた。 喉の奥に砂が詰まっているような、く、湿り気のない声だった。
「公民館の記事に配るはずだった百箱は、すべてキャンセルです。『職がを痛め、分な品がご用できなくなりました』と、そう伝えましたよ」
「奥様……! 町内会だけじゃありません、あそこは先代の代から、ずっと贔屓にしてくれている番のですよ? そんな断り方をしたら、来からの取引だって……」