"十三足目の黒い靴" 第1話
湯気のつ粥のに座ると、胸の奥から押し寄せる吐き気がを抜けた。
「美咲、だけでもべておきなさい。があるは、胃に物を入れないと回復が遅れるからね」
卓の向かい側で、宗郎は丁寧なつきでリンゴの皮をむいていた。切の無駄がない、規則正しいナイフのき。シャー、シャー、と定のリズムで皮が途切れることなく伸びていく。
「……ありがとう、宗郎さん。でも、し気分が悪くて」
「ダメだよ」
宗郎はを止めず、穏やかな笑みを浮かべたまま私を見た。その瞳は澄んでいて、どこまでも優しい。誰もが「理の夫」と称える男の顔だった。
「君はいつも自分の体調を過信してしまう。昨の夜もそうだっただろう? 邪薬をむのを嫌がって、夜にをげてうなされていた。僕がついていなかったら、どうなっていたか分からないよ」
「……昨の夜?」
私は暗いのを払おうと、眉にシワを寄せた。 昨の夜。私はたしか、午にはベッドに入り、そのまま度も起きずに朝を迎えたはずだった。うなされた記憶も、宗郎に病された記憶もない。
「覚えていないのかい?」
宗郎はさく息を吐き、困ったように首を振った。リンゴの皮がすっと切れ、お皿のに綺麗にえられた兎型のリンゴが並べられる。
「最、本当に物忘れが激しくなっているね。
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疲れているんだよ。……ほら、お薬も準備しておいたから」
彼が卓の端から滑らせてきたさなプラスチックのカップには、い丸薬が粒入っていた。
私がいつもの偏痛と微でんでいる処方薬だ。だが、私はそのカップをすぐにはに取らなかった。カップの横に置かれた薬のシート——その裏面の製造番号と薬品名が印字されている部分が、カッターのような鋭利な刃物で綺麗に削り取られていることに気づいたからだ。
「宗郎さん、この薬……」
「ん? ああ、シートの角が指に刺さると痛いだろう? 君は皮膚がいから、僕が角を落としておいたんだ。さあ、めないうちに粥を召しがり」
彼の声には、片の嫌もなかった。ただ純粋に、病な妻を労わる慈爱に満ちていた。
しかし、私の胸の底で、たいしずくがポタリと落ちるような違が広がり始めていた。
削り取られていたのは「角」ではない。薬品名がかれた「帯」の部分だ。
私は黙って粥をすくった。塩気が切ない、淡な覚が舌に広がる。宗郎は満そうに頷くと、自分の腕計に目をやった。
「よし、そろそろ社するよ。今は青のクライアントとな打ちわせがある。夕方には戻るけれど、君は絶対ににてはダメだ。鍵は閉めていくから、部で静にしていなさい」
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「……ええ、ってらっしゃい」
宗郎は私の額にそっと唇を寄せた。たく、湿り気のない触。彼が玄関に向かい、なドアが閉まる音が響くと、静寂が広いリビングを包み込んだ。
ガチャリ、とから鍵がにかかる音がした。
保護という名の、施錠。
私は、卓に残された。体温計を脇に挟む。ピピピと子音が鳴った。表示された数字は36.8度。
など、最初からがっていた。
痛の原因は邪ではない。このに漂う、息の詰まるような圧迫と、喉の奥にへばりつくような信だった。
私はちがり、い取りで玄関へ向かった。宗郎が買ってきたという解シートが、玄関横の収納棚に入っていたはずだといしたからだ。
靴脱ぎにり、壁に設置された靴箱の扉にをかける。 がの靴箱は、宗郎のいこだわりで特注された井まで届くきな枠の代物だった。彼の革靴は段に然と並べられ、私の靴は段に置かれている。
私は番の、普段はほとんど使わない観音扉を何気なくけた。
そこには、季節れのブーツや防災用の避難靴が入っているはずだった。
だが、暗がりのに収まっていた景を目にした瞬、私の考は完全にフリーズした。
「……何、これ」
そこには、まったく同じデザインの、黒い革の平底シューズが然と並べられていた。
、ではない。 靴箱の最段の奥きをいっぱい使って、寸分の狂いもなく、完璧な角度で並べられた靴。