みかん小説
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"沈黙のピアニストは厨房に潜む" 第3話

(どうして……こんなに……)

限界に達しようとしているフロアの絶望景を、洗いから見つめていたの体は、気がつけば勝していた。 指先に微かに残る議なに背を押されるように、彼女はシンクからし、濡れたを拭うことも忘れ、厨入りへと歩みていたのである。

そして、あの言葉をにしていた。

「あの……もしかしたら、私が弾けるかもしれません」

自分でも驚くほど、澄んだ、はっきりとした声だった。 発した直臓が痛いほどの鐘を打ち始める。 どうしてそんなことをにしてしまったのか、にも分からなかった。 ただ、責任のさに押し潰されそうになり、を抱えるスタッフたちの姿を、どうしても見過ごすことができなかったのだ。

その言に、騒然としていたフロアがを打ったように静まり返った。 振り返った宮の顔には、らかな戸惑いと、が浮かんでいた。

「……今、なんて言った?」

「ピアノです。私なら、できるかもしれません」

しかし、宮はまじまじとのみすぼらしいエプロン姿を見つめた、乾いた失笑を漏らした。

「お、皿洗いだろう」

「……はい」

「皿洗いがしゃ張るな! 今は冗談を聞いている暇はないんだ!」

氷のようにたく切り捨てる言だった。 そのにいたホールスタッフの岡本たちも、宮に同調するように、困惑と侮蔑の入り混じった苦笑いを浮かべた。

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さん、お気持ちは分かりますけど……今夜のお客様は本格なクラシックの演奏を求めていらっしゃるんです。庭の趣程度で務まるではありませんよ」

まるで、分を弁えない愚か者を見るようなややかな線が、痛いほど肌に突き刺さる。 はそれ以、何も言えなくなった。 言い返すための言葉など、最初から持ちわせていなかった。

「……すみません。すぎたことを言いました」

消え入りそうなさな声で謝罪した。 自分の言葉がこんなにも簡単に打ち消され、否定されてしまうことに、彼女のしいほど慣れきってしまっていたのだ。

「余計なことを考えている暇があるなら、皿の枚でもく磨いておけ!」

の苛った声が、洗いへと背を向けて引き返すの背に追い打ちをかける。 胸の奥が、鈍く痛んだ。 けれど、それはりというよりは、え切ったい諦めだった。

こうして自分を押し殺し、誰の目にも止まらない所で息を潜めてきること。 それこそが、彼女が過の罪悪から選んだ、唯きる術だったのだから。

洗いに戻ったは、再び黙々とたいに両を浸した。 しかし、スポンジを握る指先は、まだかすかに震えている。

――皿洗いがしゃ張るな。

な宮の声が、の奥にこびりついてれない。

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それでも、彼女の瞳から涙がこぼれ落ちることはなかった。 しみよりも先に、自分をく抑え込む諦が、分い防壁となって彼女のを守っていたからだ。

という歳。 かつては眩いスポットライトを浴びていた自分が、今は誰の目にも留まらない裏方として、ひたすらの残した油汚れを落としている。 その残酷な落差を番よくらされているのは、の誰でもない、だった。

方、華やかなフロアでは、なおも絶望な代役探しが続いていた。

「お願いします! 今夜だけでも、最初の分だけでも……!」

懇願する川の声も虚しく、話の向こうからは淡な拒絶が返ってくるだけだった。 若の岡本も、隣の級ホテルやジャズバー、ライブハウスに片っ端から連絡を入れていたが、華のディナータイムに急遽駆けつけてくれるプロの奏者など、どこを探しても見つかるはずがなかった。

美しく磨きげられたのカトラリー。 テーブルに然とセットされた純のリネン。 窓ので刻刻と輝きを増していく都の壮麗な夜景。 迎える側の準備が完璧にっているからこそ、音楽だけがすっぽりと抜け落ちてしまったこの空の異様さが、痛いほど際っていた。

「本当に、誰もいないのか……!?」

は苛ちを隠せないまま、締めていたネクタイを乱暴に緩めた。

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