"沈黙のピアニストは厨房に潜む" 第7話
声を荒らげる宮に対し、川は歩も引かず、極めて静な声で返した。
「適当な音源でお茶を濁して板を汚すくらいなら、度、彼女の能性に懸けるべきです。それに……彼女のあの目は、本気でした」
宮は激しく反論しようとをきかけた。 しかし、壁の計の針が界に入った瞬、その表に凄まじい焦りと葛藤がった。 言葉を失いち尽くす宮を残し、川は迷うことなく、厨の洗いへと歩み寄っていった。
キュッ、と布で皿を拭いていたが、川のただならぬ気配に驚いたように顔をげた。
「さん」
川は彼女のにつと、真っ直ぐにその瞳を見つめた。
「さっき、『弾けるかもしれない』と言ってくれた言葉……本気で受け取ってもいいのかな?」
真摯な問いかけに、の肩がさくねた。
「正直に聞かせてほしい。今夜、代役を務める自信はあるかい?」
「自信……」
その言葉が、今の自分にふさわしいものなのかどうか、には分からなかった。 もの、鍵盤に触れることすら恐れ、逃げ続けてきた自分に、今夜のこの特別なステージが務まるのだろうか。 押し寄せると恐怖に、がすくみそうになる。
けれど、洗いの窓から見える、困り果てたスタッフたちの青ざめた横顔。 そして、今まさにの信用がに堕ちようとしている現実をにして、もう目を背けることはできなかった。
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胸の奥くで、記憶のの奏の声が、背をそっと押すように響く。
――の音を、みんなに届けよう。
はさく息を吸い込み、川を見つめ返した。
「……確かな自信があるとは、言えません。でも……やってみないと、分かりません」
静かな、けれど確固たる決を込めたその声に、川は力く頷いた。 彼はすぐさま振り返り、背でち尽くしていた宮に向かって、迷いのない声で言い放った。
「宮さん! もう、さんに頼るしかありません!」
川の真っ直ぐな言葉が落ちたフロアには、息を呑むようない沈黙が広がっていた。 スタッフ全員の線が、祈るように宮の点へと集まる。
宮は苦々しげに壁の計との顔を交互に見比べ、なおも激しい葛藤に苛まれていた。 素性もれない皿洗いに、の命運を託すなど正気の汰ではない。 しかし、刻刻と迫る破滅をに、もはや自分たちに何の選択肢も残されていないことは、彼自が誰よりも痛いほど理解していたのだ。
永にもじられた数秒の沈黙の末、宮はく、い溜息を吐きした。
「……仕方ない。、着替えてこい!」
苦渋に満ちたその許に、は静かに礼した。
控へと向かう取りは、まるでいのを歩いているかのように現実がなかった。 用された演奏用の漆黒のドレスをにとった瞬、の指先は微かに震えた。
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もの、決して触れることのなかったステージ装。 滑らかなのたい触が、指先からゆっくりと体の芯へと伝わり、忘れかけていたい記憶のを呼び覚ましていく。
着替えを終え、控の鏡のにつ。 そこには、見慣れない、けれどどこかひどく懐かしい自分の姿があった。
に、胸が激しく鳴り、固く閉ざしていた記憶の扉が、堰を切ったように溢れした。
それは、の初のことだった。 都内のきなコンサートホールでわれたリサイタルを、成功で終えた帰り。 気の残る会を歩ると、湿った夜が、照ったの頬をよく撫でていった。
『今ののピアノ、本当に最だったよ!』
奏はいつものように、太陽みたいな屈託のない笑顔での肩をポンと叩いた。
『次はもっときなホールで、で弾こうね! 私たち、まだまだこれからなんだから!』
灯に照らされた、奏の未来をしも疑わないるい横顔。 で笑いいながら歩いた、夜のの景。 それが、奏と交わした最の会話になるなんて、そののにはる由もなかったのだ。
交差点の横断歩を渡ろうと、が歩を踏みした、まさにその瞬。 けたたましいタイヤの摩擦音と共に、赤信号を無した猛スピードのが突っ込んできた。
『――っ!!』
咄嗟に、奏がの体を力いっぱい突きばした。