"十年介護と九千万円" 第19話
監察医へのもみ消し作の録音データもある。……あんたの退職も、恩も、警察OBとしての名誉も、今この瞬ですべて消しんだよ」
迫は言葉を失い、をパクパクと魚のように閉させた。 やがて、そのに崩れ落ちるように正座し、両で顔を覆ってさく震え始めた。 団の自治会として、警察の鎮として、虚飾に満ちた体面を保ち続けてきた男の、完全な社会だった。
静まり返った部ので、に組み敷かれた森田宏だけが、充血した目で私を睨みつけていた。
「……枝……てめえ……」
呪詛のような声。 その顔には、まだを殺めてきた者の傲なが残っていた。 自分は悪くない、運が悪かっただけだと言わんばかりの、醜悪なエゴイズム。
私は、散らばった畳のをゆっくりと歩き、森田のにった。
エプロンのポケットから、つのものを取りす。 それは、神保が昨、本物の兄の遺留品のから探偵事務所へ持ち帰っていた、古い革の帳だった。
表には、かすれた文字で『健』と刻まれている。 には、兄が警察学代からき溜めていた誌と、幼い私と緒に茨ので撮った、褪せた写真が枚挟まれていた。
私はその帳を、森田の目のに掲げた。
「森田さん」
私の声は、の氷のようにたかった。
「あなたは兄を殺し、その名を奪い、勝ったつもりでいたのでしょうね」
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森田の呼吸が止まる。
「でもね、あなたのこのは何だったの?」
私は歩、踏み込んだ。 ひび割れた私の指先が、男の界を塞ぐ。
「畳半の暗い部で、息を殺し、私がおむつを替えるのをじっと待ち、私がすり潰したたい流をみし、よだれを垂らして震えるフリを続ける……それが、あなたのに入れた『自由』だったの?」
森田の瞳が、激しく揺らぎ始めた。
「あなたは逃げ延びたんじゃない。この悪臭に満ちた布団ので、、私の顔を伺いながら、蛆虫のようにきていただけよ。私の兄の元にも及ばない、ただの汚い臆病者としてね」
「やめろ……」 森田の喉から、掠れた鳴が漏れた。
「兄はね、んでもなお、あなたを逃がさなかった。あなたのそのを、私への介護という名の懲役刑に変えて、ここに縛り付けたのよ」
「やめろッ! 言うなッ!」
森田は絶叫した。 凶悪犯の仮面が、音をてて砕け散った。 、自分が信じ込もうとしていた「完全犯罪の勝者」というを、私の言言が残酷に解体していく。 男の目から、粒の涙とが溢れし、畳のにこぼれた。 にを打ち付けながら、森田は狂ったように泣き叫び、嗚咽を漏らし続けた。
精神の完全な崩壊だった。
「連れてけ」 神保が静かに命じた。
刑事たちが森田の両脇を抱え、引きずるようにして部のへ連れしていく。
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続いて、迫と麻美も、錠をかけられて連されていった。
廊にると、異変に気づいた公団の民たちが、ドアの隙から恐る恐る顔を覗かせていた。 いつも私を「健気な妹」とれみ、迫を「派な元警察官」と崇めていた隣民たちだ。 連されていく迫の惨めな姿と、錠をかけられた「寝たきりの兄」の姿を見て、全員が幽霊でも見たかのように青ざめ、息を呑んでいた。
私は誰とも目をわせなかった。 会釈も、弁もしなかった。
部に戻り、散乱した類と割れた湯呑みを片付けた。 タンスから、自分が着古した数枚のと、父母の写真、そして本物の兄の帳だけを、さなボストンバッグに詰めた。
荷造りは、わずか分で終わった。
私の代、代、代のすべてをみ込んだ402号。 だが、部をる、私のには片の未練も、寂寥も残っていなかった。
鍵を玄関の内側のドアノブに掛け、私は静かにドアを閉めた。
カチャリ。
い鉄の扉が閉まる音が、の悪に引かれた終止符のように、静かに響き渡った。
*
季節は巡り、の初が茨の平野を吹き抜けていた。
のをくに望む、両親が残してくれた築の平。 根の瓦を葺き替え、垣をく刈り込んだ庭の片隅で、私はさなスコップをに突きてていた。
ホームセンターで買ってきた、パンジーと仙の苗を植える。