"毒を運ばされていた私" 第13話
「触るな! 神崎は今、速の料所で県警に柄を確保されたよ!」
松永の声が、夜の団に響き渡る。
「神崎の医院から、清原フミに処方されていたカルシウム拮抗剤の正調剤記録と、にした相馬栄造の改ざんのカルテが見つかった! 神崎は全部吐いたぞ! 清原に脅されて診断を偽造したとな!」
自治会のが、ガクガクと震え始めた。 ずさりした男の背が、トラックの除けにぶつかる。
「……そ、そんなの、俺はらねえよ……俺はただ、清原さんから部の処分を頼まれていただけだ……」
「頼まれていた?」
私は歩、自治会へと詰め寄った。
「清原フミは、最初からこの部を処分させる気なんてなかった。……そうでしょ?」
私は、元に散らばった清原さんの遺品のに、見覚えのある桐の箱が転がっているのを見逃さなかった。 作業員が投げ捨てた雑な段ボールの隙から、剥きしになった針箱。 清原さんが、いつも万の枕元に置いていた、黒ずんださな箱だった。
私はにまみれたその箱を拾いげた。 蓋をけると、錆びた裁ち鋏と、使い古されたとりどりの縫い糸の束。 その底板に、爪をてた。
パキリ、といの板が浮きがる。 底。
から滑り落ちてきたのは、つ折りにされた、区役所の公印が押された枚の公正証だった。
広告
『因贈与契約公正証』
平成――今から、相馬栄造がした、まさにその翌に作成されたものだった。
私は震える指で、その文面を目で追った。
『贈与者・清原フミは、そのにより、自己のする切の産、預債権、並びに本件都営宅における居権に基づく残余財産の全てを、以に指定する受贈者へ遺贈する』
受贈者の欄に、墨黒のインクで、私の本名が、私のとともに、狂いなく刻まれていた。
そして、その類の余に、清原フミの震える跡で、鉛のりきが添えられていた。
『咲子さん。 あなたがあの夜、相馬さんの部へお茶を運んでくれたの、 あの澄んだ目を、私は忘れません。
あなたは私の、世界でたったの共犯者です。 この部も、この畳も、すべてあなたにあげます。 私がんだ、あなたがここを引き継ぎ、 次の誰かを、優しく取ってあげてくださいね』
夜が、私ののの片を激しく羽ばたかせた。
喉の奥から、乾いた笑いが漏れそうになった。
。 彼女が私に向けていた、あの慈母のような微笑み。 あの慎ましやかな仕。 私をのヘルパーから特別扱いし、「あなたが淹れてくれたお茶が番いい」と褒め称えていた、あの言葉のすべてのが、氷解した。
清原フミは、私をしていたのではない。
広告
私を、自分と同じ側のとして、自分の罪の沼のに引きずり込み、度といがれないように首を掴んでいたのだ。
彼女が畳のに隠していた鍵も、相馬さんの記も、すべては私に見つけさせるための遺言だったのだ。 「おも同類だ」と。 「おが最の押しをしたのだ」と。 んでなお、私の魂をこの湿気配管の淀んだ団の底に縛り付けるための、完璧な呪縛。
「咲子さん……?」
松永が、私の異常な青ざめ方に気づき、配そうに声をかけてきた。 警官たちが自治会を取り囲み、無線の声がび交い、団のたちが巻きにヒソヒソと囁きっている。
正義が勝ったのか? 真相が暴かれ、悪が裁かれるのか?
違う。 神崎が逮捕されようが、過の殺が暴かれようが、相馬栄造の命は度と戻らない。 そして、私が自分のであの夜、あの毒の茶を運んだという事実は、誰が裁いてくれるというのか。 清原フミは、法のが届かない所へ、自分自にあの茶をませて、勝ち逃げのように逝ってしまった。
私の元に残されたのは、老朽化し、カビの臭いが染み付いた、血塗られたの居権だけだった。
「片付けろ!」
私は、のの公正証を握り潰した。 爪がのひらにい込み、微かに血が滲む。
「全部……全部、捨ててください!」
作業員たちに向かって叫んだ私の声は、夜の団のコンクリートに吸い込まれ、誰の同も呼ばずに消えていった。
それから数ヶ。
桜川団の〇号は、完全に内装が剥がされ、コンクリートの打ちっぱなしのたい空へと戻された。 神崎医院は廃業し、老医師は裁判を待たずに拘置所ので病した。 相馬さんの親族は見つからず、彼の残したノートと実印は、警察の証拠品保管庫の暗へと葬られた。
が過ぎ、初の湿ったが吹き始める頃、私は介護事務所を退職した。 制のエプロンをゴミ箱に捨て、度とこの町にはづかないと決めていた。
だが、今でも。
夜、自分の部で湯を沸かすたびに、やかんの注ぎからちるい湯気を見つめると、指先が激しく震えす。
度のお湯。 分。
腔の奥に、あの甘ったるく、どこか胃を刺激する青臭い枯の匂いが蘇る。 そして、元で、あの老婆の枯れた囁き声が聞こえるのだ。
――咲子さん、いつもありがとうね。
私の両は、どれだけ鹸で洗っても、あの黄い茶の濁った匂いが、皮膚の奥くに染み付いて、度と取れることはなかった。