"息子が私の家を売る夜" 第1話
台所のから流れるたいで、布巾をすすいでいました。
の骨折からヶ。ギプスが取れ、リハビリ用の杖を使えば、のを歩くくらいは何の自由もありません。男の介が組んだローンの建売宅、その階にある畳の客が、今の私の仮まいでした。
練馬の古い平で暮らしをしていた歳の私を、介と嫁の智美さんが「配だから」と引き取ってくれたのは、退院したのことです。
「お義母さん、何をしているんですか!」
背からんできた鋭い声に、私はわず肩をすくめました。 音もなく背にっていた智美さんが、私のから濡れた布巾を素く奪い取ります。そのつきには、汚れた雑巾を摘みげるような、わずかな躊躇と拒絶が混じっていました。
「座っていてくださいって、あれほど言ったでしょう? まだ骨が完全にくっついていないんですよ。もしまた転んで寝たきりにでもなられたら、番困るのは介なんですから」
智美さんはそう言いながら、蛇をきつく締めました。キュッとゴムパッキンが軋む音が、狭いキッチンに響きます。
彼女の声は決して荒らげてはいません。から聞けば、怪をした義母を甲斐甲斐しく気遣う、優しいお嫁さんの声そのものでした。けれど、私の目を見ようとはしません。
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彼女の線はいつも、私の胸元か、あるいは元のスリッパのあたりをたく滑り落ちていくだけです。
「智美さん、ありがとう。でもね、朝のテーブルを拭くくらいなら、リハビリにもなるとって」
「駄目ですよ。お義母さんが良かれとってやったことが、で度になるんです。……あ、ほら、ここ。お醤油の輪ジミが残ったままです」
智美さんはため息混じりにしい布巾を取りし、私が今拭いたばかりのダイニングテーブルを、い力で何度も何度も擦り直しました。まるで、私が触れた痕跡を消しるかのように。
その、玄関のインターホンが鳴りました。
「はい」
智美さんは声のトーンを段くねげ、りで玄関へ向かいました。 引き戸がく音がして、お隣の坂井さんの声が聞こえてきます。自治会の回覧板を届けに来てくれたようでした。
「あら、智美さん、おはようございます。お義母さん、の具はどうですか? さっきお庭の方でしお見かけしたけれど、ずいぶんしっかり歩いていらっしゃったわね」
「坂井さん、おはようございます。お気遣いありがとうございます……でも、ねえ」
智美さんはわざとらしく声を潜めました。しかし、廊を通じてダイニングにいる私には、その言葉の端々が言句、正確に届きます。
「見た目は元気そうに見えるんですけど……最、ちょっとのほうが怪しくなってきちゃって。
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今朝もね、お塩とお砂糖を違えてお噌汁に入れそうになっていたんですよ。お鍋を焦がされたら怖いですから、危ないことは全部私がやるようにしているんです。本はまだできるつもりでいるから、止めるのも苦労で」
「まあ……そうなの? しっかりしていらっしゃるように見えたけれど、急に来るっていうものねえ。智美さんも変ね」
「いえ、男の嫁ですから。私がしっかりてあげないと。介にも、お義母さんが何を言っても真に受けちゃ駄目よって言い聞かせているんです」
私は、ダイニングの子に座ったまま、自分の膝のに置いた両を静かに見つめていました。
お塩とお砂糖を違えたことなど、度もありません。今朝、私がに取ったのは、智美さんが使いかけで放置していた汁パックの袋でした。それを棚に戻そうとしただけです。
けれど、智美さんのにかかれば、それは「認症の兆候」に塗り替えられてしまうのです。
坂井さんが気の毒そうな声をして帰っていくのを、私はただ黙って聞いていました。鳴り込んで「嘘をつくな」と叫ぶ気にはなれませんでした。そんなことをすれば、「ほら、興奮してりっぽくなっている」と、さらに都のいい証拠を与えてしまうだけだと分かっていたからです。
玄関のドアが閉まり、智美さんが戻ってきました。