"七歳の女の子が握りしめた富士山の木札" 第4話
「ま、あんたがいいならいいんだがな」
常連の男は納得しきらない顔で、そうかいとだけ言って帰っていった。
話は次の朝には商へ流れていた。俺がのを掃除していると、向かいの魚が声をかけてきた。
「宮さん、あんたまたタダで湯に入れてるんだって?」
「伝いをしてもらっているだけです」
「うちのにもいるよ、そういう伝い。は払わずに魚だけ持って帰るやつがな」
笑い声ががった。隣の百の主が笑い、その隣で客の寄りも笑っている。悪気のない笑い方だ。この商ではずっとから、宮の3代目は商売がだということになっている。
「そうかもしれません」
「あのなあ、ここは笑われてるところだろう」
「るところですか?」
「そこで笑ってるから、あんたは商売がなんだ」
魚はそう言って、氷の箱をのへ引きずっていった。
笑われるのには慣れている。祖父がんでから6。俺はこの商で1度も言い返していない。言い返さない男はそのうち笑われ役になる。俺はほうきを持ち直して、先の掃除を再した。
言い返す言葉はいつかなかったし、いついても言わなかったとう。その夜、番台で帳面をいた。1分の数字をの同じと並べてみる。だが並べなければ良かったと悔した。客の数も売もはっきり落ちていた。
広告
の分だけではない。ずっとから落ち続けている状態なのだ。を1分タダにすることが、このにとってどんな響があるのか。俺は分かっているつもりでいたけれど、ちゃんと分かっていなかったのかもしれない。
入りの向こうで音がした。がをいて、いつもの銭を差しす。
「……」
俺はすぐに返事ができなかった。瞬だけ受け取ろうかとった。指がきかけて止まった。この子からわずかなおを取って、それで何が変わるのか。俺は自分のでのを押し返した。
「いい、入ってこい」
「でも、札しといたぞ」
は俺の顔をじっと見げた。それから首をかしげた。
「おじさん、今は変」
「どこがだよ」
「声がさい。邪だ」
「嘘だ。お呂さんは邪引かないもん。どこで聞いたんだ、そんな話」
「毎お呂に入ってるから。でも、くは引く」
「じゃあもっとお湯の温度温かくしたらいい」
「湯の温度は変えないんだよ。普段は42度って決まってる」
「ケチ」
はし納得がいかない表で女湯へ入っていった。壁の向こうから湯を汲む音が聞こえてくる。あの音がしているだけ、俺は番台の数字を忘れていられた。
が帰った閉、俺は浴槽の線を抜いて誰もいない番台にっていた。が排溝に流れていく音だけが残る。祖父ならどうしただろうと考えた。
広告
祖父は困った客に湯を使わせる、いつも理屈を先に言うだった。恩に着せない言い方を、あのは必ず用していた。俺にはそれがない。あるのは嘘だけだ。
湯がすっかり落ちて、排溝が最に「ごぼり」となった。祖父ならあの子からを取ったかもしれない。1円でも取ってそれを仕事にしたかもしれない。俺のやり方は甘いのだとう。甘いと分かっていて、も同じことをするだろう。今の俺に答えはなかった。
翌、いつもと違う夕方のに、がにやってきた。学の鞄を背負ったままだ。
「おじさん、伝いに来た」
「学は?」
「終わった」
「伝いはいらん。ただ入りに来ればいいんだ」
「だめ」
は鞄をろして箱のにった。
「おじさん、私のこと伝いだって言ったでしょ」
「なんでってる?」
「商でおのたちが話してるのを聞いた」
俺はそれを聞いてとっさに何も言えなくなった。
「じゃあ本当に伝わないと嘘になるもん」
俺はをいてそのまま閉じた。断る理由をいくつか考えたが、どれもこの子のでは通用しないとじた。
はそのから学終わりにやってきて、箱の札を綺麗に並べる係になった。が自分で決めた係だ。1番から順に向きを揃えて差していく。数すると蔵庫の係も増えた。牛乳の瓶を奥から詰めて、ラベルを全部に向ける。
「そこまでしなくていいぞ」
「だってこっちの方が綺麗」