"何番まで落ちたら離婚するの" 第17話
フルタイムの正職員への登用試験をに控えており、覚えることはのようにあったが、自分の力で活の基盤を築き直しているという実は、私のに確かな張りいを与えていた。
ガチャリ、と玄関の引き戸が威勢よくく音がした。
「ただいまー!」 元気な、し声変わりの始まった太い声が響く。 「お帰り、翔太。かったわね」
廊をるドタバタという音とともに、リビングのドアが勢いよくいた。 入ってきたのは、丈のしくなった公学の制を着た翔太だった。 の受験では、結局、あの県内最難関の私学は受験しなかった。 模試の特別クラスを辞めた、翔太自が「元の公にって、部活をやってみたい」と言いしたからだ。 今は式野球部に入り、毎だらけになって球を追いかけている。
「喉乾いたー! 麦茶ある?」 翔太は背負っていたエナメルバッグをリビングの隅に放りすと、蔵庫へ直し、ピッチャーから麦茶をごくごくと音をてて喉に流し込んだ。 焼けした首筋。し伸びた髪。 そこには、かつてのあの、酷なまでに然としていた『神童』の面はどこにもなかった。
「ちょっと、翔太。バッグはちゃんと自分の部に置きなさいって言ってるでしょう」 私が苦笑いしながら注すると、翔太は「あ、忘れてた」
広告
とを掻き、エナメルバッグのポケットから、くしゃくしゃになったプリントの束を引き抜いた。
「そうそう、これ。今返ってきた数学のテスト」
テーブルのに、無造作に放りされた枚の藁半。 私はわず、元の類を置いてそれを見た。
『76点』
太い赤ペンで、きくかれたその数字。 設問の最初の方、簡単な計算問題で、マイナスの符号を付け忘れるという、典型な凡ミスで点引かれている。 半の応用問題は解けているが、途の図形問題でを使いすぎたのか、最の問が空欄のままになっていた。
裏面を見るまでもない。 そこには、配点の計算メモも、『目標点数』の角囲みも、何つかれていなかった。 ただ、消しゴムで慌てて消したような、真っ黒な擦り跡がつ残っているだけだった。
「もー、あと分あれば最の問題解けたのにさ」 翔太は麦茶のコップをテーブルに置き、悔しそうに唇を尖らせた。 「最初の符号ミスなんて、完全にケアレスだし。お父さんに『数学は任せろ』って言われて特訓したのに、曜に見せたら絶対に笑われるよ」
「そうね。雅さん、そういう単純なミスにうるさいものね」 私が笑うと、翔太も「だよねー」とケラケラと声をげて笑った。
息子の顔に、私の表を伺うは微もなかった。 『76点』という、決して自できない、だが等の自分の実力を、あの子は何の恐れもなく、当たりの常として私のに差ししていた。
広告
私がその点数を見て失望するかどうかなど、この子はもうミリも気にしていないのだ。 親の顔という鎖から、この子は完全に解き放たれていた。
ピンポーン、とインターホンが鳴った。
「あ、健太たちだ!」 翔太はリビングの隅からグローブと式ボールをひっつかみ、脱ぎ捨てていた制のブレザーを放りした。 「お母さん、暗くなるまで川敷でキャッチボールしてくる! 夕飯、何?」 「今はハンバーグよ。半には戻りなさいね」 「りょーかい!」
翔太はパタパタと音を響かせ、玄関へと駆けていった。 「お待たせー!」という息子のるい声と、友達の「遅えよ翔太!」という笑い声。 やがて、ガタガタと自転のペダルを踏み込む音がざかり、再びに静寂が戻ってきた。
私はちがり、玄関へと歩いた。 け放たれたままの玄関のドアの向こうから、眩しいほどの初のが、廊いっぱいに差し込んでいた。 のの粒が、靴脱ぎのアスファルトを柔らかく照らしている。
族の形は、壊れてしまった。 夫はり、このには私と翔太のだけが残された。 世から見れば、それは『失敗した庭』の姿なのかもしれない。
けれど、私の胸の奥にあったのは、寒々とした孤独ではなかった。 息苦しい嘘も、数字に縛られた怯えも、誰かの顔を窺う緊張もない。
ただ、ありのままの痛みを引き受け、傷だらけになりながらも、自分のでを踏みしめているという、静かで温かな解放だった。
テーブルのに残された、76点のテスト用。 その赤ペンの数字が、夕暮れのを浴びて、何かの始まりを告げるように、優しく輝いていた。